文化の違い:悪霊について

スラバヤ空港、搭乗開始の写真

インドネシアに赴任して忘れ得ない想い出は多くありますが、そのひとつ、「悪霊」「もの憑き」の事例について、日本企業間で取り交わした内容です。個人名などを除き、2003年当時の文章のまま、参考掲載します。

—–元のメッセージ—–
送信日時 : 6月23日 11:24
件名 : 悪霊

工業団地日本人会議の皆さん

○○の■■です。

先週弊社では悪霊が出る騒ぎがあり、今夕祈祷師(巫女のようなもの)を呼んで悪霊払いの儀式を行うことにしました。皆様の会社でもこれに類したお話はありますか。

ローカルのマネジメントクラスも含めて全員?が悪霊の存在を信じているようなので、馬鹿馬鹿しいで片付けられない問題のように思っています。

取り上げればそれだけ騒ぎが大きくなりそうなので配信すべきかどうか迷いましたが、皆様のお話が聞ければと思い、ご参考まで。

—–元のメッセージ—–
送信日時: 6月 24, 15 7:36
件名: 返: 悪霊

■ ■さま

日本人会議でも、以前に少しくご報告させて頂いたことがございますが、弊社の様な小ぶりの会社でも、あるいは、だからなのか、二回ほど「もの憑き」の前例がございますので、改めてここにご案内させて頂きます。

2002年2月、弊社女性ワーカーに悪霊が取り付き、朝礼直後より癲癇発作のような状態を呈したため、その子を応接室に収容、個別に様子を見ることにしました。スタッフのひとりを通訳兼世話役として事情を聞く限りでは以下の様な「体験」であったと聞いております。

「この工業団地は以前は鬱蒼と森に覆われ、その頃よりいかがわしい者達がこのあたりをうろついていたことはみんな知っていることです。悪霊はこの辺りには一杯昔からうろついていました。その悪霊が私にまとわり付くようになったのは、この数日のことで、今日は朝から取り付かれる予感がありました。朝現場に入るとその悪霊が工場裏側のドアーから入って来て、私の左足の甲から体の中に入り込んだので必死に体から追い出そうとしましたが、思うようにならず、私は悪霊に取り憑かれてしまいました。」

その子は朝一番の癲癇発作の様な状態から一回抜け出したので、上記の様な問答が可能となった訳ですが、彼女の様子を見ていた「物知り」で知れる、ゴミ回収者のひとりが、おでこの上に三角錐の木片を載せると良いと諭しているのを聞いて、日本でも古人の例ではてんかん発作の場合、おでこに草履を載せよと、同じようなことを言っていたことを思い、明らかにてんかん持ちではないのかと考えていました。

面談中、彼女は「Directorは日本人であるが、私の話しを信じるか?」と、いささか挑戦的な質問を受けましたが、小職は「そういう事実があることを信じているし、自分自身違った形で体験している。」こと「悪いことさえしていなければ悪霊もいずれかは立ち去ること」をスタッフから通訳させて言って聞かせました。苦笑されると思いますが、私が持つ不思議な経験については、また別の機会にお話申し上げたいと思います。

しかし、その後、残念ながら、その子は同様な症状を再度呈したため、12時前には自宅へ送らせました。平行して家族構成などを確認させました。解ったことは、彼女の父親は家を出たまま戻らず、兄弟は小学生の弟とふたり、母親も午後の7時以降でないと勤務先から戻らないという事情です。特定の男性との付き合いは表面化しておらず、彼女自身の勤務態度は極めてまじめと評価されており、仲間からも信頼される誠実なタイプであることが報告されています。また、薬を常飲していたような事実も聞こえません。

以上から、意図的なサボタージュではなく、てんかん気質によるものだと考え、あくまで「病人」として処置するよう指示しました。幸いにして、また、どういう訳か、その後、その子は二度とてんかん状態、つまり、「悪霊」が取り憑いたような状態にはなっておりません。

2002年10月、上記とは別人の女性ワーカーに「悪霊」が取り憑きました。事件はある木曜の晩の残業時に発生したのですが、実はその残業の日、小職は日本人会の用があって、先に工場を出ており、現場は全てローカルスタッフに任せていました。翌日の朝、残業時「悪霊」に取り憑かれた子が出たので、その子だけ先に帰宅させ、難は逃れましたとの報告を得たため、早速、本人を目視確認しようと現場に降りていきました。その子に約10mも接近したでしょうか?小職は、ただ遠くから元気に働く様子さえ確認できれば十分と考えていただけでありましたが、小職が接近することが解ったせいか、いきなり彼女は意味不明の言葉をわめき出し、小職を指差して何事か大声で怒鳴り散らし始めました。前例とは全く異なったケースであり、度肝を抜かれました。ともかく、即、隔離するよう指示し、以前と同じ様に応接室に収容させました。

その子は小職が部屋に入って行った時も、変わらず、意味不明のことをわめき続け、二人のSupervisorに脇を押えられていました。ジャワ語でも、インドネシア語でもないと思われる彼女の喚き声を聞きながら、一体、何を言っているのか問うてみると、Supervisorが言うには、この子に憑いたのは何でも、やはりこの工業団地を徘徊する「中国人の霊」であり、そのため彼女は中国語で喚き散らしているのだと言います。

英語も話せないSupervisorが、何故中国語を理解できるのかという疑問を抱きながらも、どうしたいのかを問い質します。すると、社外に話すには、いささか気の引ける話しではありますが、その「中国人の霊」曰くは・・・
「私は貴方Directorとは中国で出会い、私は貴方を信じていたのに何故、何故?‥」
と言っているのだと言うのです。小職は学生時代に体育会系山岳部に所属しており、日本山岳会青年部の一員として、確かに中国新疆ウイグル自治区にある山に遠征、運良く初登頂の仲間入りを果たした訳ですが、断じて女性とのめぐり合わせはなく、誠に失笑せざるを得ない話でありました。そもそもが、ローカルスタッフやワーカーでそのことを知っている者は誰もいないのであります。しばらくは黙って、何故彼女のいう言葉が理解できるのか解らないSupervisorに通訳させながら話しを聞いてやりましたが、あまりの不自然さゆえ、完全にサボタージュと判断し、途中間髪、「なめとるんか!貴様ら!」とテーブルを力一杯拳で叩きながら大声でどやしつけました、もちろん、日本語でであります。しかし、面を食らったのは側にいるふたりのSupervisorであり、彼女の目は完全に宙をうろついており、一向にうろたえる様子すらありません。ふたりのSupervisorは小職の剣幕に恐れをなし、以後、黙り込んでしまいましたが、彼女は全く同じように半狂乱のように喚き続けるだけなのであります。既に1時間が経過しようとしており、ご存じの通り、何かの理由で怒鳴る必要があったとしても、怒鳴るということは非常に体力を消耗するものであります。いくら若いとは言いながら、小1時間に渡って、意味不明のことを喚き続けるのは、文字通り、正気の沙汰ではありません。「本物か!」と考えざるをえませんでした。

人事担当と打ち合わせし、止む無く「Kiai」さんを呼ばざるを得ないと判断。人事に手配を依頼しました。ほどなく「Kiai」さんが到着、全くもってバカにされているとしか思えませんが、当人は「Kiai」さんを見るや、借りてきた猫のような状態に陥り、今までのあれは何なのかと思うほど、喚くのを止めました。「Kiai」さんの勧めに従い、正午直前に業務を停止し、全社員が食堂に集合、「Kiai」さんと共にお祈りをしました。小職は社用のため、その頃から外出、午後遅くに戻り、事件のおさらいを人事と行います。

・朝、「悪霊」が再度その子に取り憑いた直後、Leader格のひとりが、ある外部の個人を呼べ!と人事に激しく詰め寄っていたこと。
・上記には、Supervisorのひとりが強く後押ししていたこと。
・憑かれた子の背景:彼女の父親は母親と離婚後、消息なし。母親は既に老年にあり、家族を養える職にはつけないこと。兄弟は兄と弟と三人。1ヵ月後に家賃を支払わなければ大家から出て行けと催促されていること。弟は数ヶ月前から授業料を支払えないため休学中であること。先月から兄夫婦が家に居候しており、そのふたりとも失業中であること。母親は兄夫婦を信頼しておらず、当人に頼りきりであること。
・当人は過去連続の皆勤賞受賞者であり、人事としても注目に値する誠実な人物と評価していたこと。
・ある特定の暦に合致する、金曜日の前、つまり木曜の晩は、様々な霊が降臨する時と考えられており、不具合にも、その特定の日に取り憑かれたこと。
などなど報告が発生しました。

人事決定は小職の了承を前提としており、責任ある立場の者が、故意に、ある特定の人物を外部から社内へ誘致するがごとき態度は部下を惑わす行為であるとして、報告のあったLeaderとSupervisor両名に会社警告書を発行させました。そして、当人でありますが、サボタージュと断定できる確証がないままでありましたが、あまりの非正常性から、精神的障害による業務履行能力不足を理由に、解雇に向かえないか確認を開始しました。

人事から地方労働局へ問い合わさせた結果は、精神障害の認定を受けるにはその専門家の診断書が必要であり、専門家による業務遂行不可能と言う正式文書がなければ、最初の第一ステップが踏めないと言うものでした。第一ステップのあとはご想像の通り、非常に長いプロセスが待っています。そのため、人事から母親を説得し、当人は業務困難なこと、他人に迷惑が掛かることなどを説明し、自己退職に持ち込むよう説得することがベストであろうと結論しました。しかし、いきなり「辞めた方がいい」と言うには無理が感じられましたので、「もしこの一週間に容態が良くならず、今後も同様な症状を呈する場合」という前提を付けさせ、人事を当人の家へ向かわせた訳であります。

結果として、彼女が錯乱状態になることは二度とありませんでした。その後は、それまでと同様、彼女の勤務態度は模範的であり、非常に誠実な性格の人物として、多くの社員に信頼されているとのことであります。当然、彼女が退職する理由はなくなり、今も頼もしいワーカーのひとりとして働いていてくれています。

サボタージュなどという悪質な意図からでなく、あくまで個人的な理由ではありながら、真剣にこれからどうしたら良いか悩んでいる若者がいることを再確認したと考えています。一般的といって良いのでしょうか? プリブミ系は中華系からも侮蔑されるように、勤務態度、能力などにおいて劣っていることが指摘されたりしますが、小職の知る限りにおいては、実際には充分に信頼に足ると思われるワーカー、もちろん、LeaderやSupervisorなども含めて、優秀な者は存在していると理解しております。そうでない者がいるのは、中華系、あるいは日本人とても同じことであるということです。

これらの事件を通して、幾分不透明な部分は残されていますが、極めて誠実に、しかし、残念ながら一人の力では問題を打破できず、本人の気性が真面目であればあるほど、「悪霊」の入り込む余地が造成され、最後には身そのものを「悪霊」に委ねざるを得ない、そんな状態が発生し得るということを学んだものと考えています。一方で、日頃からむしろうまく立ち回ろうとする輩が、Good Chance と思われる機会を日ごろから絶えず窺っている図式も確認され、ある意味では小職にとって、その者たちを露見させる良い機会であったとも感じております。

その頃、絶えず、夜間警備中のセキュリティが背中を誰かに触られたや、工場の男子便所は「悪霊」の休息場所になっているだとかを聞きましたので、私のできる範囲のこととして、出勤した直後と、退社する直前には、裏側のボイラーの前まで歩いて行って、しばらく手を合わせるようにしました。訝しむスタッフに言うのであります。「どうか今後、ウチのものに憑く前には、私に報告してからにして欲しい」と。

この報告書は「悪霊」の存在を主張するものでなく、「悪霊」に憑かれてしまう状態の者が存在することを記録するものであります。

蛇足になりますが、その後「悪霊」は発生しておりません。しかしながらワーカーの三名が死亡しています。ひとりはPasuruan への道路脇で殺害され、ひとりは病死、ひとりは交通事故です。

殺害されたというのもしばらく探っておりましたが、どうも個人で携帯電話のDealing か何かをやっていたようで、金銭の授受の怨恨から発生したもののようです。当然会社は関係なく、日曜日に殺害されたため、Jamsostec(雇用火災保険)の補償額も極めて小額でありました。交通事故は先月発生しておりますが、帰宅時、途中の線路を越えるところで車に引っ掛けられひき逃げされたものです。本人はオートバイに乗っておったのでありますが、転倒した際、道路脇の電信柱に顎を強打し、即死であったとのことです。会社としては、無論、無免許運転は禁止することを明文化しておりますが、当人は無免であったようで、オートバイは友人から借り出した模様です。思ったとおり、その友人とは弊社のワーカーでありますが、オートバイを警察から引き出すのにえらい金額を要求されていたように聞いております。本件も会社業務とは無関係であり、何らお咎めがあった訳ではありません。こういうことが連続していたため、実は「お祓い」をすべきかと現在思案しております。事故直後に「お祓い」するといかにも会社が何か後ろめたいことがあるのか、と言われそうでありますので、しばらく事故の余韻が冷めてからと考えておりました。

以上、長くなってしまいまして申し訳ありませんでしたが、小職の「事件簿」のひとつをご報告申し上げました。何かのお役に立てれば、存外の喜びであります。どうか頑張ってください。心より陣中お見舞い申し上げるものであります。


今更ながらもう一度考えたりします。あれは一体、「ホントのこと」だったのだろうかと。小さな工場のことであり、現地社長とは名ばかり、ほとんど現場で、それぞれの職種を兼任しながら、無我夢中になってローカル社員と共になすべきことをなさんと努力していました。なすべきをなすというだけでなく、なさざることをなすという過ちにも気を遣うべきであったろうと振り返ります。日本にいる間は、まず、自分の家が仏教、浄土真宗を信ずる末裔であることを意識しませんが、一歩海外に出て、「宗教」を示す必要をやたら求められると、これまでほとんど口にしない「南無阿弥陀仏」の念仏をつぶやいたりするものです。日本から6,000km彼方にいるものが、思い出したように念仏を唱えるかなどと思いながらジャワコーヒーをすすります。

「甘い、甘いな」

と入れすぎた砂糖を後悔せざるを得ません。