モチベーションの目的とリマインド方法

モチベーションを上げろ!ヤル気を出せ!と自分自身に言ってみたり、人から言われることがあります。モチベーションを上げよう、ヤル気を出そうと考えるのですのが、片腕を上げたり、声を出したりするのは、すぐにでもできるのですが、自分で思うようにモチベーションやヤル気を操作できないと感じると、何やら、自分自身の非力さが際立ち、かえって気が萎えたりすることもあるもんです。

シニアと呼ばれる年ともなれば、自分のモチベーションを、少しはもっとうまくコントロールできるようになったかと思いたいところですが、記憶にある限り、ヤル気を出せ!と考えるだけでヤル気が出てくるなんてことは、残念ながら、これまでも、今もないのであります。ただ、年を取った分、考え方を少し変えることで、期待される結果を得られることもあるという知見は身に付きました。 モチベーションを上げろ!ヤル気を出せ! と、考える時、その言葉通りにしようとするのでなく、何のためにしようとするのか、なぜそうしようとするのか、モチベーションの目的を問い直したり、モチベーションの位置関係をもっと意識するのです。自分があるモチベーションを抱くようになった環境などとの関係性を考えることで、モチベーションが浮彫りになり、モチベーションを思い出させる近道になることがあります。

モチベーションの目的とリマインド方法

モチベーション (Motivation) とは、何かをしようとするヤル気や、やろうとする理由、目的意識のことを意味します。モチベーションだけが突然現れるというより、その「何か」との関係で意識されるものであり、「何か」をしようと思う原因や理由のことを言っています。「モチベーションの目的」という言葉を日本語に直すと、「ヤル気を出した目的」「目的意識の目的」と少しおかしな日本語になるのですが、モチベーションの目的も含めて、ヤル気というものをリマインドする方法として、言葉だけでなく、図で視覚化するということがとても役に立ってくれます。

モチベーションは方向性を持つ意識

モチベーションはヤル気ということであり、ある方向性を持った意識です。矢印を持つ図で記すことができます。矢印を記すと、自然に「どこからどこへ」ということが気になります。と同時に、何もなければ、このような方向性を持つ意識や考えが浮かぶことは、あまりないことにも気づくことになります。

こうして図にしてみると、我ながら思い至るのです。この矢印の図だけを見て、「ヤル気を出せ」「モチベーションを上げろ」と繰り返してみても、それは無茶なのだと。

モチベーションは目指す姿から生まれる意識

モチベーションやヤル気という矢印はそれだけで存在するのでなく、基点と終点との間を橋渡しする意識であるので、元となる、基点と終点を改めて意識し直してみます。ここでは、先に、終点となる、その目的、言い換えれば、目指す姿とは何であったのかをもう一度意識し直してみることを図で表現しています。

目指す姿は今の姿を変えようとする意識

モチベーションやヤル気は、目的やある姿を目指す意識です。そのことを視覚でもっと捉えやすくするため、基点となる、現状・今の姿との間に段差をつけて図に記してみます。

図示してみると、改めて、目指す姿とは、今の姿とは異なる、まだ実現していない姿であり、今の姿を目指す姿に向かって変えようと思うこと、その両方を橋渡ししようとしているのが、モチベーション・ヤル気であることが意識できます。

ところで、こうして図示し始めると、私だけなのか、空白を埋めたくなるもんです。

目指す姿のニーズとウォンツ

意識という形では見えないものを、図で表そうとするのですから、いろいろな図を描けるはずですし、どの図も、全体を表現できず一部分だけ、ひとつの視点を示すに過ぎないと感じますが、一例として、ニーズとウォンツを縦軸・横軸にして、4象限を持つフレーム図を想像することができます。

この図は、目指す姿には、ニーズとウォンツのバランスが必要ということを示唆しているようです。もちろん、自分自身が、いかにニーズやウォンツを考え、意識し続けたとしても、それだけでは、目指す姿を実現できるということにはならないでしょう。それは、いくらモチベーションやヤル気があっても、それだけで、望む姿が現実にはならないことと同じです。ただ、考え方、モチベーションや目指す姿を見直そうとする時の、ひとつの道具として利用できるのだと捉えています。

モチベーションはフロ―ゾーン

ミハイ・チクセントミハイ教授のフロー理論をそのまま拝借して、モチベーション・ヤル気という矢印を、フローゾーンと置き換えました。チクセントミハイ教授は、スキルとチャレンジのバランスでフローゾーンという、時空間を忘れて没頭するフローゾーンという意識(無意識)領域があることを研究結果として発表なさっておられるので、ここでいうモチベーションの目的、目指す姿や今の姿の対置などについて言及なさってはおられません。

ただ、今のスキルとチャレンジ意欲(レベル)から、より高みである姿を目指すからモチベーションやヤル気が出てくると当てはめて考えることは、とても理解し易い考え方になると感じます。

ヤル気が出ない時が、目指す姿を見直す時

モチベーションを上げろ、ヤル気を出せと自分に問うというのは、その時が、目指す姿が見直しを必要としている時なのかもしれません。ただ、心身ともにとても疲れている時があり、そういう時に必要なのは何よりも休むことであるという場合があるもんです。ゆっくり風呂に入って、良く寝るだけで精気が蘇るなんてことは、数えきれないほど体験しました。

言葉だけでなく、図でも描いてみる、ということは多くの人にとっても共感の持てる方法になると思います。面白いのは、思っていることを言葉にしても気が付かなかったことが、図で描くとすぐに意識されることがあるという意外性です。いい年になった私なんかは、自分のことは自分が良く解っていると図々しく思うようになったほど、自分自身との付き合いが長くなりましたが、自分自身との対話では意識できなかったことを、図示してみて気づきがあったりすると、もうひとりの自分が「だから言ってるやろ」とうそぶくのを聞くのも楽しみのひとつになってきたもんです。

これまで、私の目指す姿は何度も変わってきました。変えてきました、というより、変わってきました、というように変わることが自然であったことを思い返します。睡眠を取るということは新しい人に変わることを意味するという人もありますが、考え、考え方、目指す姿は、私の場合、絶えず変わるものであり、変わってまた元のように考えたりするということもあり、くるくるといつも流転するもののように感じられます。

そもそものモチベーションの目的

理学博士、茂木健一郎教授が、「脳」整理法の中で、以下のように記しておられます。

 セレンディピティの定義にある。「偶然の幸運に出会う能力」というのは、語義において矛盾を含んでいるようにも思います。「偶然の幸運」を引き寄せること、つまりそれを必然とする能力など、この世には存在しないともいえるからです。

(中略)

セレンディピティとは、いったい、どのような脳の働かせ方を指すのでしょうか。

(中略)

とにかく何か具体的な行動を起こすこと
(中略)

出会い自体に気づくこと

(中略)

素直にその意外なものを受け入れること

(中略)

「行動」、「気づき」、「受容」が、「偶然を必然にする」セレンディピティを高めるために必要なのです。

「脳」整理法 茂木健一郎 ちくま新書

図に記した、ニーズやウォンツを絶えず考えたり、あるいは、モチベーションを何とかキープすることだけで目指す姿が実現化する訳ではない、記してみれば当然のことと分かることです。モチベーションそのものでなく、そのモチベーションの目的となる「目指す姿」を実現化する方法のひとつは、セレンディピティという「偶然の幸運に出会う能力」なのでしょうが、茂木教授の指摘なさるように、「偶然を必然」にしていくには、「行動」が必要であり、新しいものと「出会った」ことを意識し、なおかつ、新しいものを「受容」し、それまで抱いてきた考えと融合させることが「偶然を必然にする」セレンディピティを高めることになる、偶然を必然にする偶有性を高めることになることを言っておられるのだろうと感じます。

モチベーションを高めたり、ヤル気をだそうとする、そもそもの理由は、モチベーションを高め、維持することで、自分の望む姿を実現化する、あるいは、その実現のための必然性を高めたいからのことです。 図に記すと、モチベーションとは、「今の姿」と「目指す姿」をつなぐと共に、偶然と必然の間の橋渡しにもなっている様子が視覚化できます。茂木教授の仰るようであれば、モチベーションとは、「行動」、「気づき」、「受容」の裏付けとなる意識であり、それらが、「偶然を必然にする能力」セレンディピティを高める要素である、という風に捉えることもできます。

モチベーション維持を説く古人の言葉

モチベーションと言う言葉をそのまま使ってはいませんが、モチベーションを念頭に置いていると、同様のことを指摘する古人の言葉が少なくないとつくづく思い至ります。

福沢諭吉

考えが変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる
人格が変われば、運命が変わる

福沢諭吉

ウイリアム ジェームズ

心が変われば、行動が変わる    Sow a thought, reap an action.
行動が変われば、習慣が変わる   Sow an action, reap a habit.
習慣が変われば、人格が変わる   Sow a habit, reap a character.
人格が変われば、運命が変わる   Sow a character, reap a destiny.

William James

福沢先生よりジェームズ先生の方が先の時代の人であることから、福沢先生はジェームズ先生の言葉を知っていて残された言葉なのかもしれないと想像します。ヒンドュー教の教えにその元となる言葉があると聞いたことがあるのですが、今もって、その原典にお目にかかったことはありません。

始めに考えがあり、考えが行いを決定する、行いが習慣を作り・・・と全てが繋がっている様子を短い言葉で言いつくしています。モチベーションやセレンディピティという、比較的新しい言葉は用いられていませんが、古くから使われるとてもシンプルな言葉で、モチベーションの目的の実現化や、偶有性から必然へ至る道のりを描いています。

いろは歌

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

私は長い海外赴任生活の中で、ある時から、何度もくちずさんできたのがいろは歌です。日本語という母国語で話し合うことが少なくなると、知らぬ間に、ひとり、日本語を朗読して、日本語で考えるという時間が、どうしても必要に感じられるようになったもんです。

「涅槃経」に説かれている、諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽を弘法大師様がいろは歌で表現したとお聞きしています。

いろはにほへどちりぬるを  諸行無常
わがよたれぞつねならむ   是生滅法
うゐのおくやまけふこえて  生滅滅已
あさきゆめみじゑひもせず  寂滅為楽

個人身勝手な解釈では、次元の異なる表現ではありながら、福沢先生やジェームズ先生の言葉と本質的に同じことを言っていると捉えています。

モチベーションという言葉

モチベーションという得体の知れない意識のことを考えてみると、いろいろな、その他のことに意識が行き、考えが膨らみ過ぎると、あれっ何のことを考えようとしていたのか?と思い直したりすることが、ままあります。しかしながら、そういう、あさっての方向に行ってみては、また舞い戻るということを何度かし続けてみると、モチベーションが云々というよりは、モチベーションの基点や望む姿、あるいは、その関係性と目下の行ないとのバランスなどの方に、そもそもの、モヤモヤ感の原因が求められることがあったりします。

それは、モチベーションを持つ、持たないということより、他に考えるべきことがあると思い直す機会となり、モチベーションというとても抽象度の高い言葉で捉えようとするものも、結局は、必要とされるのは、自分にとってのモチベーションであると思い至ることになります。

モチベーションという言葉で捉えようとしているものは、結局は、自分自身に固有な何物かであるわけです。古人の言葉が多いに参考になりますが、言葉を普遍的な意味としてだけでなく、自分にとって、とても個別的で具体的なものとして表現し直すことが、自分の考えであり、自分のモチベーションになるわけです。

せんじ詰めると、自分が自分であることは、言葉で表現されるものであるということになるのでしょうか。