必要なのはコンサルティングでなく後押しであるという人のために

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年商2億円から40億円規模の企業における、十数年間の、日本と海外の経営実務の体験は、経営とは、つまりは、人が人と共に、人のために行う経済活動であるということを教えてくれました。経営という言葉は、法人などの事業の場合に使われる訳ですが、個人や家庭で言う、生活や人生という言葉と、ほとんど意味合いが等しいと感じます。どちらも貨幣経済の中での営みであり、おカネの単位で考えるべきことがあり、日ごろの対話、コミュニケーションがそれぞれの文化や環境などを決定していきます。そして、抽象度を高めれば、どちらも、経営者や社員、親や子供たちという人が、共に、他の人々との関わりを通して、より幸せを目指そうとする活動であるとまとめて理解することができます。

そういう抽象的ではあるけれど、実感を伴う理解を持つようになると、以前は意識されなかったことが意識されるようになります。売上や利益の維持増大は、商品や営業力だけでなく組織全体の能力として現れること、すぐ買ってもらうには、値段を下げることが分かりやすく効果的であるものの、買い続けてもらうには、自分や自社の、他とは異なる独自性、他の人が認める主張が必要となること、経験者が未経験者に教えを垂れることで経験者はより学びを深めることができることなどですが、考えてみれば、それらは、新しく知ったということでなく、知っていたことに改めて気づくというべきことばかりであったと感じます。

事業には西洋医学的な対処だけでなく、東洋医学的気づきを意識した行動が、より必要であり効果的な時期や状態がある

経営実務の中で、経営コンサルタントや弁護士、会計士など専門家に相談し指導頂くということが何度もありましたし、関係する総合商社からは、売上や仕入に関するアドバイスを繰り返し頂いたものです。業務システムについては、当然ながら、システムを専門とする業者にソフトを制作してもらい、運用の手ほどきをして頂いたというように専門家の人々に何度も助けてもらったのです。

それらは、痛いところを痛くないように直してもらうという西洋医学的処方のように例えることができます。悪い部分に直接アプローチし、改善してもらうので、結果として対処効果が分かりやすく、痛いところが痛くなくなれば、良くなったという納得感があります。しかし、設立間もない企業や真の別の問題を孕む組織の場合、目先の痛みがなくなったとは言え、すぐにまた別の部分が痛み出し、改めて専門家に対応をお願いするというようなことが繰り返し必要とされることがあります。痛みを無くすことは必要なこととは言え、改善されるべきは体全体の働きやバランスなのであり、むしろ、東洋医学的対処のように、体全体の理解確認と体質改善の方が必要と考えるべき場合がある訳です。言い方を変えるなら、体のある部分の筋力だけを伸ばすことより、体全体としての体力を増すことに力を注ぐべき時や場合があるということになります。

私が、設立後間のない海外法人赴任を幸運であったと考えられるようになったのは、その時期がバブル云々と言われる時期であったということの他に、この気づきを得ることができたということにありました。法人経営だけでなく、望んでいた訳ではないものの、閉鎖やそれに伴う人事や資産売却などに対応することで、事業設立から閉鎖までの会社の一生を、自分自身のこととして携わる体験を得ました。それは、自分にとっての会社の意味を見直させ、同時に、自分自身のあり方そのものを総点検する絶好の機会となったのでした。

会計システムがおかしくなったからシステム屋を呼ぼうとする、しかし、システム屋はどこかへ逃げてしまって連絡が取れず、仕方なく簿記システムを自作する。ある社員が突然喚きだし仕事にならない、仕方なく宗教的指導者に面倒を観てもらうようにする。前触れもなく仕入単価が目に見えて高くなった部品がある、業者と仕入担当者の癒着関係の調査を行う。売り先開発は売り先の社長だけでなく、社長の家族と知人へのアプローチがとても重要で効果的である。これら、日本の常識では理解できないことや、日本の道理とはいささか異なる対処を求められるという体験が、自分の知る対症療法では間に合わないことを自覚させ、自然治癒力の向上を学ばせるきっかけとなっています。直接原因の他にも複数の遠因を確認したり、自分自身で全体のバランスと合わせて捉えることには時間がかかりますが、習うより慣れよとはよく言ったものです。繰り返し訓練することで、自分たちで何とかするという「自然治癒力」は向上していきました。

それは、現地資本企業と海外資本企業の差というよりは、経営者と社員の経営知見の多寡という視点で考えることができます。経営知見、つまり、自分らの会社を自分らで育て、癒し、調整するという知識と経験ですが、知見が不足しているからダメと思ってしまうということでなく、不足しているからこそ満たそうという意識が必要であり、また、そう意識した行動が必要であることを体感することとなりました。

専門知識というより経営全体の考え方を必要とする時

一般的に、海外でも日本でも、法律に関することなら弁護士、財務会計なら会計士ということで、必要に応じて、法律や会計の裏付けを取ったり、指導を頂くために相談をお願いします。総じて、専門家の手法は、「西洋医学的」であり、とても明快な論理で説明や教示を頂くことができます。そのためには、こちらの必要や目的をキチンと披露しなければなりません。「先生、体がどうもだるいんだけれど、どうしたもんだろ」や「先生、もっと元気よく溌剌として仕事ができるようにするにはどうすればいいか教えてほしい」という聴き方では、どういう専門知識を活かせるかが不明であり、質問の仕方が誤っていると指摘されるか、他を当たるように指導されるだけのこととなります。

しかしながら、この種の経営の悩みは決して少なくないと感じてきました。システム開発を契約として請け負った業者に対する損害賠償については弁護士に相談するにしても、新たなシステム導入について考えたり、悪霊に憑りつかれて仕事場で急に騒ぎ始める社員が出ないようにするにはどうすべきを誰と相談したら良いのか悩むことは、とてもだるいことであります。日本とは異なる仕入の風習や新規取引先開発について、相談するというより、まず、自分の考え方を整理する必要があるが、通常業務時間内には集中できずモヤモヤしたまま、ハラハラし通しということは良くあることのひとつとなります。

私の場合、お釈迦様も来てくれないだろうと思えるほど、日本から遠く離れた、慣れない土地で活動しており、現地日本人社員は自分ひとりであり、そういう生々しいことがらについて、母国語で相談できる相手が誰もいなかったため、立ち位置を同じくして経営を考え、相談する相手が欲しいと願ってもそれは叶わないことが明白でありました。しかし、帰国後、それはむしろ良き環境であったことを振り返ります。同じ日本人同士、同じ日本にいて日本語を使って話し合えるのに、そういう時、相談相手がいないという事業責任者や管理者の悩みを聴くと、深く同情を覚え、心から陣中見舞いを申し上げたくなる訳です。

経営の考え方を考えてみることが後押しになる

わが身を振り返ると、その時の私が私でなく、他の人であれば、私よりはもっとうまくやれただろうと感じます。私の場合、然程に右往左往した時期が多く長かったのでありました。それでも、だからと言って、アナタが悩まないだろうと言いたいのではありません。悩む時はとことん悩むことが悩みから解放される手段であると信じますので、悩むということに積極的に取り組んで頂きたいと思います。悩むとは、煎じ詰めれば、考えるということです。

少しヤヤコシイ言い方になりますが、考えるには、やはり、考え方を考えてみることが、自分の考えをもっと深めたり、考えを展開させたりする時、つまり、何よりアナタ自身の考えをシッカリと持つための助けになると実感します。

私は海外法人の現地Directorという立ち位置でそのことを考え始め、帰国後、ODA採択企業や、私の知らない業種の事業者を支援する機会の中で、何度も反芻することになりました。規模の違いに関わらず、経営者や管理者の方々が持つ悩みは考え方によって、その後の行動に大きな差が生じ、アナタ自身だけでなく、その他の人にも影響を与えるものです。

考え方を考えることを、特に勧めてきたのは次のような方々です。

  • 新しい事業の経営を考える人
  • これまでの経営を見直そうとする人
  • 自分会社やチームの経営を総合的に捉えたい人

「痛い」ところを直接「痛くない」ように対処することを繰り返すが、真の解決に至っていないと感じる経営者や、経験したことのない、全く新しい課題を前にして考えがまとまらないと悩む管理者、これから経営というものに挑み、自分の経営を行うと決心した起業者などの方々に、少しでも参考になる考え方が提供できれば、それは、日本から遠く離れてひとり思い悩み続けた、以前の私が最も必要としていた相談相手の役となり、少しでも後押しするということになるだろうと期待します。

考え方を考えるとは

経営実務で観られる、経営の考え方は、大きく3つに分けられます。

  1. 望まれる結果を導いた経験や成功例を基に経営を考える方法
  2. 原理的に優れている(と思われる)理論に合わせた経営思考
  3. ビジョンを描き、トライアンドエラーを繰り返す考え方

考えるとは、ある指標に照らし合わせて目の前のものを理解しようとすることと捉えるなら、1.の指標は過去の例であり、2.は理論、3.はアナタのビジョンということになることが分かります。上司や上位者の指示を指標とするという考え方は記していませんが、その上司がどの考え方を採るのかを理解することで、朧気ながらも区別することができます。

考えるということそのものに、良い悪いはありません。アナタがどの考え方をするのかだけです。それに、どういう考え方をするにしても、その他の考え方は全く関係ないということもないでしょう。人は意識しなくても経験知を重んじるものですし、その経験は、時には、ある原理に基づいた故の結果であったのかもしれません。必要なことは、アナタ自身がアナタの考えの中でどう考えれば一番納得できて、他の人にその考えを言葉などによって、分かりやすく伝えられるのかにあります。

アナタと同様に、他の人もどう考えるのかを知ることで、アナタの言葉の表現などが変わりますし、アナタが考えをまとめることで、何より、アナタの行動が変わっていきます。行動を意識した行動と無意識の行動とに分けて考えて観れば、アナタの考えの実現化には、意識した行動をより多くすることが求められるということが、自然に思い出されてくるものです。

考えるということがアナタという人を通してどのように流れるものかは、次の詩にとても分かりやすく表現されています。

福沢諭吉
考えが変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる
人格が変われば、運命が変わる

ウイリアム ジェームズ
心が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる
人格が変われば、運命が変わる

William James
Sow a thought, reap an action.
Sow an action, reap a habit.
Sow a habit, reap a character.
Sow a character, reap a destiny.

ヒンズー教の教え
心が変われば、態度が変わる
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる
人格が変われば、運命が変わる
運命が変われば、人生が変わる

古人の言葉を頼りとすると、経営を考えることも、アナタ自身の行動が変わることを意味し、それは、結果として、アナタの人生を変えることになると、私自身、実感を持って理解しています。