一夜賢者経
「一夜賢者経」と呼ばれるお経があります。
過ぎ去れるを追うなかれ
未だ来たらぬを待ち設くる無かれ
過去は過ぎ去り
未来は未だ来たらざればなり
ただ現在の法を見よ
うごかず、たじろがず
それを知りて育てる
今日 なすべきことをなせ
誰か明日死の来たるをしらんや
「今日 なすべきことをなせ・・」との再会
日本人ひとりで海外法人を切盛りしていた頃、山積みの課題や言葉、文化の違いなどから、極度の不安症を呈することがありました。現地法人閉鎖が画策されたことを漏れ聞いた従業員百数十人が、団体交渉と称して、日々会議を求めてきます。会議、つまりは、現地の法律で言う最低退職金金額では納得いかぬ故の金額交渉である訳ですが、残念ながら、彼らが要求する額を支給できるほど、会社の資産は潤沢ではありません。そもそも、閉鎖のために最低限必要とされる額を予め計算し、然程に資産が縮小したために閉鎖が決定された経緯があります。
いつ止むのか分からない交渉を続けていたある日、いつものように、アパートまで送ってもらい、自室の前のドアの前に立ったところまではしっかり記憶があるものの、しばし、気が失われ、次の瞬間、ドアの反対側でジッと手のひらを見つめる自分に気づくことがありました。部屋の中に入ってその間、数秒か十数秒、あるいは、数分なのか、どうやって入ったのかも分からず、文字通り、背筋にスゥーと冷たいものを感じたものです。比喩の表現としてしか使ったことのないその言葉を、実際に体感してしまったことに、まずは大いに驚き、すぐに言葉で意識したことは「このままでは狂ってしまう!」であったのです。
その時から、いてもたっても居られず始めたのが日本語の朗読でした。何を思ったのか、本能的に求めたのか、ともかく、日本から持ってきた、日本語で書かれた本を片端から声を出して朗読し始めました。改めて、小難しい本を多く持ってきたもんだと思いつつ、「雨ニモマケズ」と声を震わせ、「祇園精舎の鐘の声」といささか厳かな声音で、そして、「あゝをとうとよ,君を泣く」と涙に詰まりながらも何とか声を出して朗読を繰り返したのです。あるいは、既に「狂って」いたのかもしれないそんなある日、この「一夜賢者経」に改めて出会ったのでした。
持ってきているのは、少なくとも一度は読んだ本ばかりであったはずですが、そんな書を持ち込んでいたことは記憶にもありませんでした。お経なので、元来、朗読すべきものなのかもしれませんが、タイミングが合ったということなのでしょう、朗読を繰り返すごとに、ハッキリと行動が変わり、その結果として、社員に理解者が増え、最終的に難所を越えることができました。何千キロの彼方まで、お釈迦様が出張してくれたことに深く感謝申し上げたのでした。
「過ぎ去れるを追うなかれ 未だ来たらぬを待ち設くる無かれ」
最初は、過去も未来も全てごちゃごちゃにしたままの頭で日々を送っていたのです。過去も未来もごちゃ混ぜにするとは、何か企んでおるなという他人に対する疑心、暴動にはならないだろうが、社屋に火が放たれるかもしれないという不安、早く帰国して以前のように働きたいという期待などを全て一緒に頭の中に置いたまま、その場その場の判断をしようとしていたということです。
頭の中がいろいろなモノゴトで一杯になっていて、目の前のものを良く観ることができなくなっていたにも関わらず、大事な会議や軽々しく扱ってはいけない案件に臨んでいたと気づくのが遅いぞ!そんな風に、その時の自分がもうひとりの自分に言うようになったのだと思います。
それが朗読の成果、一夜賢者経の言葉の力、どちらによるのかはよく分かりません。ハッキリ言えることは、頭に隙間を空けさせ、目の前のことをもっと良く観ようとする意識が生まれたということだけです。会議と称しても、会議になっていなかったのは、彼らの姿勢や態度のせいだけでなく、そもそも己の姿勢態度に原因があるだろうこと、彼らは私や会社を困らせようとしているのではなく、自分自身や家族にとって大切な職場が失われるということを心から心配し強く抵抗していること、そして、そのことが、安易に退職することを拒ませていること、良く観れば、そして、自分事として考えてみればすぐにわかるはずのことがわからなかったのでした。
シンドイわな、エライこっちゃと共感しながらも、かと言って法定の何倍もの退職金を払えるカネがありません。どうするか?その時の私は思ったのです、「どうしようもないのだ!」と。会社を再興するということも、彼らの要求する大きな退職金を支度することも、どちらもできないのだ、そういう意味での「どうしようもないのだ」なのです。
そうして、どうにかできることと言えば、その日その日を、団体という大きな単位でなく、ひとりや数人ずつの小さな単位に分けて、会社の事情を説明し、再就職のための推薦状などできる限りの応援をするということと、他に職場を探し始めてほしいというお願いだけなのです。聞き入れてもらえるかどうかを予めから考える必要はないと言い聞かせ、中には、脅迫めいた言動に終始する社員もありながら、気は静かに落ち着くように自分を励ましながら、内容は同じことですが、繰り返し社員に説いて回ったのです。
正直に言えば、脅迫のようなことが何回か続くと、やはり、疑心も不安もまた募ってくるものです。しかし、以前とは考え方が変わりました。以前は、俺のせいチャウでと、いわば逃げよう逃げようとしていた訳ですが、以来、不思議な気構えができました。「もう逃げはせん!」と根も葉もないとも言えますが、空元気であろうと、その当時の自分には十分な覚悟ができたことを思い返します。
どうしようもないという諦め、できることはするというお願い、逃げはせんという覚悟、それだけを頼りとして1か月経過し、彼らの代表がやってきて、最終的に、全社員、法定ミニマムの退職金金額で退職することに合意したことを報告してくれました。一部にはまだ不満とする社員がいたようですが、大勢に逆らえなかったということのようです。
推薦状を用意し、知己の会社の社員募集の具合を確認したり、全社員が退出する最終日まで、ひとりバタバタと動き回っていました。毎朝「誰か明日死の来たるをしらんや」と朗読しながら。
いろは歌
今ではあまり言われなくなりましたが、かつて、文字のお手本とされた言葉があります。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
ういのおくやま けふこえて
あさきゆめみし よひもせす
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
日本語で話し合って笑い合うというのがいつのことだったか?などという環境で、ひとり頭を掻きむしっている時に朗読をし始めたことは記した通りですが、このいろは歌もその時、良く声に出して読み返した言葉のひとつです。
今の言葉に置き換えつつ、その意味とされている言葉を比較してみます。
香しく色美しい花も、やがては散る
この世で永遠に同じ姿で居続けるものがあるのか
そういう山を今乗り越えれば
儚い夢を見たり、酔いしれない世界に至れる
諸行は無常なり (諸行無常、しょぎょうむじょう)
是れ生滅の法なり (是生滅法ぜしょうめっぽう)
生滅を滅し已おわりて (生滅滅己しょうめつめつい)
寂滅楽をなす (寂滅為楽じゃくめついらく)
私は、若かりし頃に、山登りに夢中になったことがあり、なんであんなシンドイことばかりやっとんたかいな?と不思議に思いますが、今なお、「有為の奥山」を日々越えようとしていると、「なんで・・」と今日のことを振り返る、もっと成長する日が一体やって来るのかと、相も変わらず、「過ぎ去れる」日を思ったり、「未だ来たらぬ」明日を考えたりすることがあります。
しかしながら、少しは成長したのでしょう、もう「追う」ことも、「待ち設くる」こともないとは言いませんが、大分少なくなったようです。
海外で何か申し込み書というと、必ず「宗教」という欄があり、そこに記入することを求められます。もうひとりの自分に「嘘こけ!」と言いながらも、いつも「仏教」と記してきた後ろめたさや、生物学的に大分、年季が入ってきたということもあるのか、今は「寂滅楽をなす」という言葉により関心を持つようになりました。
米国の心理学のチクセントミハイ教授によれば、フロー領域の夢中になる活動に、人は幸せを感じるのであり、人生の目的が幸せであるなら、重要なことは成功ではなく、幸せを感じるというその過程であると講義なさっておられます。
私の場合、体感としての、フロー領域での活動は、若かりし頃の岩壁登攀、水泳、そして、最近ではExcelやAccessでデータベースを制作する時に感ずる没入感ではないかと感じます。ただ、正直言って、その時に幸せを感じるのかというと、幸福感というよりは、時空間や自意識が薄れ、ひたすら、その時にしている動作、作業に集中するという埋没感、没入感の方が強いのではないだろうかと感じます。後に振り返ってみて、幸せであったかと問われれば、確かに、幸せであったと答えられるけれど、個人的には、それを幸福感と呼ぶには、いささか、幸福感のイメージが違うのではないかなと思うのです。さて、お主のは、まだフロー領域の活動ではないという誹りも聞こえてくるので、あくまで、私個人のフロー体験としての範疇であることを記しておかなければなりません。
「寂滅楽をなす」「フロー活動での幸福感」と比較し、個人の体験を元に、少しでも感じられないかと四苦八苦する訳ですが、そもそも現生での体験を元にしていては、「生滅滅己」に至ってないということなのでしょうか、「寂滅」とは?「楽」とは何か?と思案できることもひとつの楽であるように思われます。