過ぎ去れるを追うなかれ、未だ来たらぬを 待ち設くる無かれ。

空港待合室に一人佇む写真

思えば、これまで、いろいろな会社に勤めることとなりました。勤める会社が他の会社に譲渡されたり、会社が閉鎖されたりすることなどが転機となり、立ち位置を変えざるを得なくなりましたが、一番しんどかったと今振り返るのは、海外法人閉鎖に至る一連の海外赴任活動です。

現地法人閉鎖となれば、全従業員を解雇せざるを得ませんが、全社員に事情説明を行い、理解を求めながら、できるだけ穏便に話し合い、解決しようと努力した訳ですが、コトがコトだけに、簡単に理解を示す社員は少なく、外部からの入れ知恵もあったようで、結局、日本人現地社長ひとりと現地社員150名による、退職金交渉ということになってしまったことがあります。いつ果てるとも分からない対話を2ヶ月ほども繰り返すと、流石に、疲れていたのでしょう、最初は、強がっていたものの、ある時、赤信号が点滅する自分自身に気が付くことになりました。

ある日、いつものようにアパートに戻り、自分の部屋に入ろうとしていました。部屋のドアの前に立ったまではシッカリと記憶しているものの、数十秒か数分程度、突然、自分の意識が飛んでしまいました。ハッと我に返ったのは、部屋の内側からドアを前にして立ち、両手の手の平を見つめる自分の姿に気が付いた瞬間でした。

「背中に冷たいものが・・」という表現があり、観念的には何となく理解していたつもりですが、その時、「これが、その冷たいもの・・」と体感することになりました。気が変になると自覚することは、もちろん楽しいものではない訳ですが、50数年間の自分との付き合いの中で、数秒か数十秒であっても、自分のしていることが自覚できなくなる瞬間があったということに言い知れぬ不気味さを感じました。

何を考えていたのか、自分でもよく覚えていません、あるいは、半ば以上、既に変になってしまっていたのでしょうが、それからし始めたことは「朗読」です。とにもかくにも、日本語を声に出したかったのでした。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ
・・・
声を張り上げて読みました。

ああ、をとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
・・・
ボロボロ涙をこぼして読みました。

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつかは切れる
・・・
息が詰まりながら読み続けました。

こうして改めて出会うことになったのが、漢訳「阿含経』の中編の経典集、中阿含経の一節です。誰の訳か、引用はどこかは、もう忘れてしまったため記すことができません。

過ぎ去れるを追うなかれ、未だ来たらぬを
待ち設くる無かれ。 過去は過ぎ去り、未来は
未だ来たらざればなり。ただ現在の 法を見よ。
うごかず、たじろがず、それを知りて育てる。
今日 なすべきことをなせ。誰か明日死の
来たるをしらんや。

不思議なものです。酒もジョギングも水泳も気晴らし程度にしかならず、日本語の心にしみる言葉を、声に出して読む、それが、絶望しかけた自分を励ます唯一の方法となりました。その励ましの言葉を何度も声にすることでしばらくすると、自分が彼らのひとりだったらどう思うのかと自問できるようになってきました。この少しの余裕が、自分の伝えたいことを伝えようとするだけでなく、彼らの言いたいことをもっとよく聞いてみようという気を起こさせてくれたのでした。考えが変われば、話し方など態度が変わります。話す人の態度が変わると、聞く人の態度も変わります。大した語学力がある訳でもない自分でも、真剣に聞こうとすることによって、彼らの多くは、退職金を増やそうとする以上に、何年も仲間と一緒に過ごした仕事場がなくなることをとても悲しむと同時に、とても不安に思っていることが実感されました。その意味では、我々は全く同じ気持ちを持っていたのでした。

数カ月の不毛な対話が、急速に合意に至ったのは、中阿含経の言葉を朗読したお陰であったと言うことができますが、その言葉が、今をもっと真っ直ぐに観ることに気づかせてくれたからというのが、より正しい言い方になるでしょう。

お互いの合意とは、会社の言い分か社員の言い分の、どちらかが100%満たされるということでなく、お互いの不安や悲しみに共感、理解し合うということによって得られた結果であります。