日本にいる間は意識することはありませんが、海外出張や海外赴任という役務に携わると、母国語の違いというものをトタンに強く意識するようになります。一定期間の出張に比べれば、赴任という数年以上の滞在の方が、当然、言葉に関する意識がより強くなります。話す相手も日本語という、自分と同じ言葉を話すかを気にするようになるということですが、赴任したことがある人なら、それは、単に同じ言葉を話すかどうかというだけでなく、こちらと同じ考え方ができるか、あるいは、こちらの考え方を理解するかどうかが肝心であることを知っているでしょう。カルチャーショックは、言葉の違いからというより、全く異なる考え方や文化を持つものとの遭遇から生じてきます。
環境が全く異なると彷彿されるこれらの意識が、日本国内の活動やあり方を再認識する上で、とても良いきっかけとなります。同じ日本人で、同じ日本語を使って話し合っていれば、文化も考え方も同じと、意識することもなく思ってしまうことに問題や課題の大きな原因が求められるべきことが分かれば、考え方や意識をまとめることが思う以上に肝心要なことであることが理解されます。
同じ言葉を話すということ
私が初めて海外に赴任した際、現地に日本語を話すスタッフがいてくれたことを、とてもありがたく、頼もしく感じていたものです。しかしながら、1カ月もすれば、それが単なる幻想であったことを知ることとなります。
ある日、いつもの通り、朝礼で打ち合わせを行った後、たまたま、打ち合わせ内容とは全く異なる業務が進められていることに気づくことがありました。早速、日本語を話すスタッフのひとりをつかまえて、事情を確認してみます。
「これって、話合ったこととはやり方が違うやろ、どうなっているんかな?」
「はい、分かりました、社長!」
「いやいや、分かりましたじゃなくて、何か問題でもあるのかと聞いとるんだが」
「大丈夫です。問題ありません、社長!」
「?」
この「?」という意識を持つのに、1カ月もかかったのは、現地法人が設立から3年しか経過しておらず、私が三代目現地管理者であったからと思うところですが、ともかく、「?」という意識を持てたことはラッキーなことでありました。それから、すぐに、もっと簡単な日本語で、より具体的な内容で打ち合わせするように努め始めることになります。
打ち合わせ内容、プロセス、その結果を、日ごと意識して観るようにして分かったのは、社長と呼ばれる人から何か聞かれたら「はい、分かりました」、「問題ありません、大丈夫です」と応えるのが「日本式」であると考えられていることです。調べてみると、日本語を話すスタッフ全員が、海外実習制度での日本勤務の経歴を持っています。日本で「3K」と言われる職種、業務に携わり、そこで、教えられたことが「日本式」であると理解している様を確認させてもらった訳です。
それは、建前と本音、正論と実際との差異が存在する中、日本において取り交わされるコミュニケーションの一コマに過ぎないのですが、そうすることで日本では大過なくやってこれたことから、それが「日本式」であると信じ、日本資本企業でも同様に繰り返している実情の一例となるのでしょう。
意識を持つということ
現地法人には、日本と同様に中間管理者としての役職がそれぞれ配置されていましたが、それぞれを意識して観ることで「日本式」コミュニケーション以外にもいろいろと理解されてきました。
- 各職位にある人々が、職分を理解できていない
- 会社の利益構造と収益利益が会社に必要であることを理解している人がいない
- 問題を部下に問い、部下の責任追及するだけで、問題解決の陣頭指揮を執る役職者がいない
つまり、事業運営が組織として機能しておらず、「会社ごっこ」に過ぎないということです。日本本社からの注文があり、本社への売上があることが、唯一の存続理由であると言えます。そのため、営業力と言えるものが存在せず、日本本社の発注に頼りきっていました。
このことは何も当社だけのことでなく、従業員百数十名の、日本に「本社」と呼ぶ司令塔を持つ現地法人は似たり寄ったりの事情を持つところが他にも少なからずあると推測しています。私自身、「本社」から赴任してきたのであり、それは、「本社」の要求を可及的速やか、かつ、希望条件通り、あるいは、希望条件に近い形で応えられるように現地法人を管理、若しくは、監理するために送られたと理解できます。
そう理解し、現地法人で活動しながら、とても個人的に思うようになったことがあります。建前と本音、正論と実際との差異があるにせよ、本音、実際を基盤としなければ、誰も真剣に取り組もうとはしないということです。
「本社」から送られた日本人が、「本社」の都合や条件だけを強いたり、「本社」の意向に合わないと、現地法人の中間管理者らを叱咤するというだけでは、組織として機能しません。職分や収益、利益構造を知らないというのは、教える人がいなかったことの証明であり、問題を部下にたらい回しするのは、その上司がしていることを真似ているに過ぎないと捉えるなら、必要なことは、その「上司」がなすべきことをなすことが始めになると考えることができます。上司、その上司の上司と考えれば、誰の役務となるかは明らかなことでした。
現地法人としての業務は、「本社」同様多岐に渡ります。いろいろな職種に分類してそれぞれの実務を理解するようにするとなると、とても広い範囲での活動が必要になると思われましたが、簡単に一言でまとめるなら、それは、自分が事業に取り組むことと解釈して良さそうです。
仮に、一人で事業を開始するなら、最初は、一人で営業や仕入、配送など事業に関わる全ての業務を執り行うことになるでしょう。規模の拡大に伴い、従業員を雇用し、職種ごとに人を配置したりするでしょうが、社員に教え、指導するのは、最初のその「一人」である自分であり、共に、自分も事業を行っていこうと思ってもらえるように意識をまとめるのも、自分の役務となるのだろうと感じられます。そういうことはしたくないということであれば、簡単なことと思いました、辞めて他所へ行けば良いのだと。
社員に意識がないとか、職分が分かっていないとか、はたまた、部下が問題をたらい回ししているなどの課題は、要は、そこに管理者として来た者の態度や姿勢、考え方が反映したものであると捉え直すと、まま、大役であることを今更ながらに感じると共に、課題解消の方法は、案外思うよりシンプルなことであって、取り組むのだと意識し直し、日ごろの行動で表現するであると合点したのでした。
同じ意識を持つのは、同じ方向へ向かうということ
経理担当者の机の上に、日本で言えば、1円玉や10円玉が転がっているのを見ると、すかさず、しかし、にこやかに担当者に尋ねました。
「このおカネは記帳されたんか?なんで、ここに放ってるん?何か他に問題あるやろか?」
仕入担当者のデスクに発注書が長らく置いてあれば、すぐに、しかし、親しく聞くようにしました。
「この発注書は取引先に連絡済かいの?何で発注書ファイルに入れんのや?他に何か課題あるか?」
警備が回ってくれば、挨拶しながら、なるべく話しをしようとしました。
「今日は何人外来があったん?初めて顔を見る人もあったんか?他に困っていることあるか?」
国や人種、性別、年齢の差があることは言わずもがなですが、そういうことを誰かれなくしていると、「今度来た日本人はちょっと変やで」と社員同士の間で噂になるのは、日本と全く同じことです。いえ、噂になるはずと思うからこそし始めたのでした。
なんやかんやと、ことある度に聞いてくるのが、一応、現地社長という肩書を持つ者なので、社員はそれなりに応えてくれますが、それを繰り返すことで、それぞれのデスクはきれいに整頓されるようになり、おカネや書類があるべきところにしまわれるようになってきます。また、こちらが傍を通りかかるだけで、挨拶と共に、今日の外来は何人で、初めての来訪者はありませんなどと、すぐに報告してくれるようになります。
一方、会社というのは、規模に関わらず、売上、粗利益、変動費、固定費、利益という5つの要素で損益を理解することができ、社員だけでなく社長や部長なども含め、我々全員が固定費の給料という勘定科目で収入を得ていること、そして、そのおカネの流れとその構造は法人も個人も、ほぼ同じであること、個人が収入を生活基盤とするように、法人は売上、粗利益が活動基盤となることなどを、説明し、いつでも、繰り返すことで、我々という意識を高めると同時に、それぞれが、そのおカネの構造のどの部分に関わる業務をしているのかを理解できるように努めました。
日本語では、「知情意」として表現される考え方があり、「知識、感情、意識」を分けて捉えることもできるが、結局は、これら全てが相備わってこそ、それぞれが思っている幸せに近づけるであろうという個人的な感想を説明したりもしたもんですが、思う以上に真剣に、興味深く聞いてくれるのは、彼らの宗教の教えに重なる部分があるからなのだろうかと想像しています。
国や人種、言葉の違いはあるものの、同じチームの一員として、それぞれの役務をよく知り、良く果たさんとすることが日常の活動であり、それは、我々の共通の目的、目標に向かうための行動となっていると、社員も気が付いてくれて、具体的な実務の方法をより良く理解するようになることで、それらが、なお、我々という意識をより高めてくれるようになることを実感しました。
もちろん、完璧という訳にはいきません。しかし、ある仕入担当者が、業者から受け取ったという封筒を私に届けに来て、個人の携帯電話番号を教えてくれというので、電話番号は教えたが、宜しくといって渡された封筒を私人として受け取ることはできないので、現地社長のあんたに渡しますと言ってくれたことで、まま、少しは組織、チームの意識が身について来たのかなと思うことができたのでした。時間はかかりましたが。封筒には、担当者の1カ月分相当のキャッシュが入れられていました。
我々は、少しずつ、自分たちでお客さん探しをし始めたのでした。新しい出会いを求めて。