古くて新しい近江商人の家訓

人と人、人生と人生、会社と会社、事業と事業

三方よし

「三方よし」という言葉で広く知られるようになった、1754年に制定したとされる、近江商人、中村治兵衛氏の家訓があります。

一 他国ヘ行商スルモ総テ我事ノミト思ワズ其国一切ノ人ヲ大切ニシテ私利ヲ貪ルコト勿レ、神仏ノコトハ常ニ忘レザル様致スベシ

「近江商人」末永國乗紀著 中公新書より

後世、昭和の学者先生が「三方よし」という言葉で紹介したことで、その言葉の小気味良さのせいもあるのでしょう、「買手よし、売手よし、世間よし」の「三方よし」は、代表的近江商人の思想、行動哲学として知られるようになりました。売買当事者だけでなく、世の中の他の人々からも納得を得られる商売が大事ということを、家訓にまでして子孫へ語り継うとしたのは、その効能を実体験した結果の強い感動を元にしているのだろうと容易に想像されます。

1754年と言えば、江戸時代、第9代将軍、徳川宗重の時代、1732年の享保の大飢饉、米価高騰をきっかけとする、1733年の享保の打ちこわしからおよそ20年後です。餓死者が1万人とも、100万人とも言われる享保の大飢饉の後、さらに深刻な飢饉が続いて発生します。14世紀から18世紀にかけて、太陽活動の停滞から地球は間氷期に入っていたと言われ、同時期、ヨーロッパでは魔女狩りが盛んに行われ、革命が勃発しています。

中村氏の言葉は、理想と慈愛に満ちた言葉と捉えられますが、そういう暗い時代を生き抜いてきた強者のひとりと観れば、そもそもが「家訓」という門外不出を前提とした言葉であることからも、これは、観念としての理想論を言うのでなく、赤裸々に生き残るための知恵を子孫に伝えようとしていることが察せられます。それは、働くことの結果が、自分や家族、親類や友人、地域社会を潤し、循環させるものでなければならないことを子々孫々に伝えようとしています。そうあれば、食えなくなることはないという知恵です。その知恵が記されたのは、黒船来航のおよそ100年前であり、ヨーロッパの革命前夜である、アメリカはまだ存在していない時代のことでした。博愛とは、自国民同志だけの博愛であることが、いよいよあからさまになる時代に入ります。

マーケティング3.0

マーケティングの父と言われるフィリップ・コトラー教授が、マーケティング専門会社社長ヘルマワン・カルタジャヤ氏と、そのコンサルタントであるイワン・セティアワン氏の3名が共著者となって、2010年「マーケティング3.0」が上梓されました。

コトラー教授らは、この著作で、ITの発展、グローバル化、創造的社会の高まりを主な要因として、これまでの、製品中心、消費者志向ではない、新しい価値主導のマーケティングの時代が到来したと主唱しています。機能的、感情的価値だけでなく、精神的価値が注目されるようになり、世界をよりよい場所にするための企業の役割が、より衆目を集めるようになると啓蒙しています。古きマスマーケティングが、ワントゥワンの関係マーケティングに塗り替えられてきましたが、さらにこれからは、ツイッター、ソーシャル、ネットワーキングなどをキーワードとして、1対多、あるいは、多対多という協働による、文化的で、精神価値を持つマーケティングこそが時代の主流になることを予測しています。

製品という売手都合だけでは不十分であり、そのため、消費者という買手の都合も良く考えた商売が衆目を集めるようになりました。その結果、商品・サービスの品質は高まる一方、コモディティ化が進行、同時に、経済格差や資源枯渇、貧困の増大などの社会問題が情報としてソーシャルネットワーク上に溢れかえっています。世間の人々が、自分の問題を、地域や国境を越えて、自分たちの問題として捉えることができるようになった現在、これまでの消費者という受け身的存在だけでは満足を得ることができなくなりました。自身も参加し、より良い社会を目指す精神面での充足をもたらせるよう、マーケティングとしても取り上げ、取組む必要があるという概念は、完全にではなくとも、ほぼ、「三方よし」の考え方に重なると捉えられそうです。

日本の小企業と中小企業の伸びしろ

バブル崩壊により「失われた10年」が到来し、続けて、銀行や企業の不良債権問題によって、もうひとつの「失われた10年」が発生、合計で、日本では、1990年ごろから2010年辺りまでの低経済成長の期間を「失われた20年」と言っていた頃があります。それは昔の話にしたかった訳ですが、その後の10年を経過する今、10年追加して「失われた30年」という言い方もなされるようになり、この調子では、「失われた40年」の時代を迎えることだろうと予測する人もあります。

アナタの事業、会社ではいかがでしょうか?「失われた・・年」はもう昔のことと振り返れるようになったでしょうか?もし「まだ・・」なら、ぜひ「三方よし」の行動哲学を、自身の行動と合わせて考えてみて下さい。既に10年前の書ではありますが、「マーケティング3.0」に、そのためには、「グローバル化」「ソーシャル」「ネットワーキング」あるいは「スピリチュアル(精神的)」という言葉がキーワードになることが記されています。

「グローバル化」という言葉は「世界をひとつのものとして考える」ようになることを言いますが、一種の比喩と捉え、サプライヤー(業者)と自社(自営業)、または、自社と売り先、あるいは、最終ユーザーまで含んだひとつの流れという視点を持つことで、これまででは気が付かなかった、新しいアイデアや可能性を見出すことはできないでしょうか?

「ソーシャル」と言えば、SNSを利用した営業プロモーションを想像することができますが、それだけでなく、文字通り、買手の社会、売手の社会、地域社会、日本社会、アジア社会などと、自分(自社)との関係という視点から、新しい希望を持つことはできないでしょうか?

「スピリチュアル」という言葉から、自分(自社)が、本当に望む姿はどういう姿であり、お客さんや業者との関係、社員との関係、これからお客さんや業者や社員になってくれるかもしれない人々との関係はどうありたいのか、どういう姿として期待されるのかを考えることで、行動の指針や方向を、もっとハッキリとさせられるのではないでしょうか?

そういうことはまだしたことはないとすれば、それは、まだ残っている、まだ使われていない伸びしろと言うべきものになるはずです。日本には、戦後薄らいだとは言え、まだ、共存共栄を望む概念が存在していると感じます。凄まじい環境を生き延びてきた強者が残してくれた「三方よし」という言葉が、理想的概念としてだけでなく、実効的方法論の基礎となる考え方になるのだと捉え直してみることも、活路を開くきっかけとなるに違いないと思われてなりません。

陣中、深くお見舞い申し上げます。