表計算のExcelからデータベースのExcelへ

表計算に大きな意味があった時代

1990年頃、当時勤務する会社の製品が家電店に並べてもらっていたことがきっかけで、仕入担当者との商談の次いでに、漏れ聞くようになった表計算ソフトとやらのデモを見に行くことがありました。それが、表計算ソフトLotus1-2-3との最初の出会いです。

プリントすればA3大ほどになる、縦横びっしりに数字が入力された表があります。表計算ソフトを使うと、縦計も横計も一瞬して集計することができるというデモであったのですが、それを見て「これがあれば営業予算作成で徹夜することもなくなる!」と文字通り落涙しながら感激したもんです。

当時は、電卓をいかに正確に早く打てるかが、技能のひとつとされ、取引先数十社の営業予算を作成するとなると、徹夜するのが当たり前とされた時代です。したことがある人は知っていますが、A3大ほどの数値の集計を電卓で繰り返すと、慣れた人であっても、計算ミスがでてきます。清書のためボールペンで記した表に、たった一か所でも誤りがあれば、すべて書き直しとなります。検算の検算を繰り返して、提出できるようにするには、相応の時間がどうしても必要とされていました。

それが、表計算ソフトの「おまじない」を使えば、一瞬にして、縦横の集計を完成できるのです。私だけでなく、多くの人が、表計算ソフトの出現に感謝感激したはずです。ありがたやと思いながらも、「ほんまに合ってるんか?」と表計算ソフトの集計結果を電卓で検算してみて、「ほんまや、合っとる」と 感激を改めていたというのも、時代を感じさせる思い出のひとつとなりました。

1995年以降、Excelが知られるようになり、最初は、表計算ソフトと言えば、Lotus1-2-3と思っていたのが、いつの間にか、表計算ソフトはExcelというように思うようになりました。最初は、徹夜せずに家に帰れるということが、大きなモチベーションとなっていた訳ですが、Excelさえあれば、どんな表の集計でもあっという間に完了できるという自信がつき、Excelの操作に慣れるに従い、関数という「おまじない」を使えるようになると、ほとんどすべての業務に表計算ソフトによる簡便化、効率化の余地があることが見えてきて、Excelのさらなる活用の機会そのものがモチベーションを高めたもんです。

私が勤務した会社のほとんどは社員20名未満の会社です。小所帯とは言え、年間売上と流通量が多くなってきたり、大手取引先のEC化に歩調を合わせる必要が出てくると、商品、在庫、伝票などの管理を実務としてこなすにはExcelのようなITの道具の助けが不可欠となってきます。Excelがなければ、以前のように、徹夜を覚悟して取り組む気合が必要となりますが、「鯛を食ったら秋刀魚には戻れない」の例えの様に、Excelが使えるというのが当然となった世では、とてもそんな気合は持ちようがありません。売上も利益も右肩上がりとなれば、思い切った資産を投下して、外部IT専門家に委託し、システムを構築してもらうという選択肢もあるでしょうが、幸か不幸か、私の所属した企業は外部委託を考えられるほど利益絶対額が大きくなかったため、ExcelなどITツールを自社で活用しながら、時代の流れに対応するというのが精いっぱいの、当時の「IT化」であったのでした。振り返れば、それが、バブル崩壊と言われる時期のことであり、期せずして、私は海外勤務の辞令を受けることになりました。

表計算からデータベースへ

海外赴任という稀有な体験から、新しい種々の知見を得ましたが、Excelという表計算ソフトをデータベースのように利用する機会になったことは、その後のExcel観を大きく変える得難い経験となりました。

2000年初頭、赴任先の南の大国では、日本で見られる会計パッケージソフトが流通しておらず、会計ソフトを求めるには、外部にシステム開発を委託する必要がありました。赴任先の会社ではCOBOL語で開発されたシステムが稼働していたとのことでしたが、私が赴任した時点で、既に期待される数値が出力されなくなり、開発者は?となると、行方が分からないというような、日本ではあまり遭遇したことのない事態に立ち至っていました。決して小さな問題ではないのですが、前任者、日本大手商社出身のディレクターはどう思っていたのか、経理担当から報告を得ていながら、具体的対応も、日本本社連絡もせずに、経理で何とかするように内部の指示を繰り返していたようです。

経理担当者は総勘定元帳のデータに問題はないことを繰り返し確認したうえで、そのデータをExcelに取込み、科目ごとに並び替えて元帳を作成、コピペと四則演算式を使って集計、最終的にB/S、P/Lを作成していました。仕訳入帳フォームと総勘定元帳データ一覧の部分だけをシステムを利用して、他は全てExcelで処理対応していましたが、表計算としてExcelを使ってきた私には、とても新鮮で、大きな気づきとなってくれました。

まだ、片言の現地語や英語しか話せない私でしたが、幸い、日本で、VLOOKUP、SUMIF、IFなどの関数やピポットテーブルの利用を繰り返してきたので、Excelの使い方を、実際に操作することで、より効率的で、具体的な指示を提供することができました。彼らは現地語を教え、私はExcelを教えるというようなことを日常的に繰り返しながら、ほぼ無意味となったシステムの利用を停止し、全てをExcelだけで処理しようという機運が高まります。自分たちだけでしくみを作るとなり思いついたのが、多通貨で発生する取引を、取引通貨そのままの値で仕訳入帳する、実務により便利な方法であったのです。

データをすぐ実務に使えるようにする多通貨簿記

日本で行う仕訳記帳は、当然のことですが円で表示しています。それが、南の大国で仕訳する場合にはルピアという通貨で表示することになります。当時、会計表示通貨をルピアと米ドルのどちらかに選択できましたが、私の会社ではルピア表示をすると申告していました。

取引がルピアだけであれば、日本国内の記帳との違いは通貨だけと感じるのでしょうが、ヤヤコシイことに、実際の取引は米ドル(USD)、日本円(JPY)、インドネシアルピア(IDR)と3種類の通貨値が発生します。システムと言われていたものには、IDRで仕訳入帳するようになっていたので、仕訳する前に相応の為替レートでIDR値に計算し直した値で入帳していました。例えば・・

  • 米ドル建ての売上が発生すると、取引通貨では以下のように記帳したくなりますが・・
    • 借方:売掛金 USD 10,000
    • 貸方:売上  USD 10,000
  • 会計がIDR建てなので、それぞれIDRに計算した値を仕訳入帳することになります
    • 借方:売掛金 IDR 100,000,000 (為替レート:IDR10,000/USD の場合)
    • 貸方:売上  IDR 100,000,000 (為替レート:IDR10,000/USD の場合)

簿記の結果としての会計資料は全て以上のように、IDRに表示が変更されてしまうため、営業や仕入など実際の取引通貨値で対話し管理するには、会計の数値をそのまま利用することができず、会計の数値とは別にデータなどを蓄積しなければなりません。

海外拠点を設立したとは申しながら、日本本社は社員十数人の中小企業、いえ、小企業です。しかも、現地赴任の日本人はひとりだけで、現地ディレクターと言っても、大企業のそれとは異なり、ほとんど全てを同時に管理モニターする必要があります。そういう背景では、誰もが、会計の数値とその他職種の数値を直接比較検討できないことに、とても不都合さを感じるようになります。

元はと言えば、システムが無意味となり、経理業務をもっとスッキリと分かりやすく、効率的に進められるようにすることを目指していた訳ですが、自らExcelを使って簿記のしくみを作ろうとしたことから、簿記のあり方、経理の業務、本社との関係などについて、「そもそも」と本質的な問い直しをする機会を得ることになりました。

簿記は何のためになされるのか?などという疑問から出発し、自分でつくるなら、自分で分かりやすく、もっと使える道具にしようということで、多くの通貨で発生する取引を、その実際の通貨の値そのままで仕訳入帳し、Excelの関数やピボットテーブルなどを利用することで、社内で利用する取引通貨データと同時に、会計報告としてのIDR通貨表示データの両方を持つ簿記のしくみを考案し、実務利用することにしました。

上記の仕訳例で言うなら、売掛金、売上共に「USD 10,000」という実際の取引通貨の種類とその値を入力し、「為替レート」という表から当該レートを関数で組み合わせ、会計表示通貨の値を計算表示。それらの数値をデータとして、保存、閲覧できるようにし、ピボットテーブルを使って元帳データを作成、最小限のコピペで月次試算表を完成させるというものです。

「そもそも・・」という再認識

  • 簿記会計は、確かに税務当局や第三者に対する報告という意味を持ちますが、そもそも、自社のおカネの流れや構造を分かりやすく表示し、次の行動の参考にすべきものであるということ。
  • 経理という日本語は経営管理という意味合いを持つとも考えられ、そもそも、経理は会社の一部というよりは、おカネの単位で会社を観察する上で中核となるものであり、各職種データの数値管理も役務に含むべきではないかということ。
  • 本社と海外拠点という大企業のような見方でなく、本社も海外拠点も同じ組織であり、一蓮托生の運命共同体である意識を持つためには、そもそも、少ない社員同士がもっと活発に意見交換、話し合う日常であるべきであろうこと。そして、経営とは、社長幹部のような社員一部がなすものでなく、どの職種、チーム、あるいは個人でも持つ生きるための考え方と活動全てを指す言葉であり、そもそも、デジタルはアナログで表現される目的や意思を補完するものであろうということ。

小さな会社にあっても、慣れた環境から全く新しい環境に身を置くことで、有意義とも無意味とも知れぬもろもろのことを感じ、考えることがありました。いずれも、その時の都合・能力・ポジションなどから、自分なりの回答を持ち、それを当座の指針、寄り縋りの元として活動するのです。

私の場合、Excelという表計算ソフトは、家に早く帰るための道具であり、会計報告と自社の行動を計るための簿記データベースの道具となったという次第です。振り返れば、ITツールであるExcelを便利に使えるデジタルの道具として使っていたものが、そもそもと本質的なことを考え直す時間や土台を用意する思考のための道具となったように使い方が変わってきたようです。道具そのものを自分の都合に合わせて作るということが、自分の思考の現れでもあり試しでもありました。使いながら、具合やそもそもということを考え、道具を作り直し、あるいは、別の道具を作ってみるなど、思考の始まりであり、行動の結果でもありました。

小さな会社での勤務経験しかないないため、大掛かりなシステムや高価なデータベースを使ったことはありません。しかし、その代わりに、ExcelというITツールの代表を文字通り道具としたことで、「そもそも」と本質的なことを知ろうとする視点を持てるようになりました。少し広げて考えてみると、Excelというより、データベースというのは、「そもそも」から考える機会を与えてくれる道具なのではないかと捉えています。もっと風呂敷を広げるなら、IT、あるいは、デジタルというのは、「そもそも」と本質的なことをアナログで考えるための道具だろうと考えてみたりするのです。