小企業の始めて海外赴任する人に贈る言葉

あきない

商売は あきない と言う
どうして あきない なのだろう
それは おもしろくておもしろくて
しかたないから あきない だ
いつも おもしろいから
笑い顔 笑顔が絶えないから
商売は《笑売》だ

『いらっしゃいませ』『ありがとうございます』
笑顔が絶えない いつも活発
だから 《勝売》となる
  
ところが あきない(商売) を
おもしろくないと思っていると
その商売はすぐあきる
  
いつも不平不満や愚痴ばかりが出て
次第に心が傷ついて
《傷売》となってしまう

こんなお店には
そのうち誰も寄り付かなくなり
《消売》となって 消えてしまう

《笑売》をしているのか 《傷売》をしているのか
《勝売》をしているのか 《消売》をしているのか

しょうばい

明治時代に、仙台市で福の神と呼ばれた「仙台四郎」という方のお話、心得などと言われる文言です。
(ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%9B%9B%E9%83%8E)

私自身は、どの「しょうばい」をしているのか。会社はどんな「しょうばい」を目指しているのか。いつも見つめる、そういう人でありたいと思うようになったもんのひとりですが、かつて、南国の大国に十数年間お世話になった時には、なかなか、そういうことを考える余裕がなかったことを振り返ります。

騙されないことを気にし過ぎて、「しょうばい」を、売れれば勝ち、売れなければ負けとでもいうような、そんな風に「勝売」 と捉える時期が長くありました。営業、仕入、経理など、職種によって求められる役務が異なるため、勢い、考え方も違ってくるのは、立ち位置の違いから派生するものであり、仕方のないことと捉えることもできますが、自分自身が、組織の一員であると同時に、ひとりの人間でもあることを振り返ると、なぜ、もっと人と人との付き合い、人との取組みという考え方ができなかったのか悔やまれるシーンがたくさん思い起こされます。そういう「招売」という一面も、もっと意識すべきだったと悔やまれるところです。

抽象⇔具象の往復と対話

「しょうばい」という言葉を「笑売」と取るか、「招売」と採るかによって、「商売」という意味だけでなく、その背景や目指す姿などを想像することができます。表意文字だからできる発想なのでしょうが、日本語を母国語とする人は、その意味合いの違いは感じられると思います。文字を変えて考えることで抽象度の高い発想を持つことができるということは、都度、対応を迫られる課題に直面した時などに利用できる考え方です。

また、日本語を外国語に置き直してみる、外国語を日本語で言うとどういう表現になるかを比べてみることも、抽象度を上げたり、発想の視点を変える場合に役立つことがあります。

例えば、「管理会計」という言葉がありますが、これは「Management accounting」の日本語訳として広く言われる言葉です。「経営会計」と言い換えることで、その会計の意味合い、目的、目指すものを自分自身で再確認する縁にすることができます。

抽象度を上げて発想し、その概念を具象化してみて、より具体的に、違う言葉で表現して相手に伝える、それは、海外活動というだけでなく、日本でもどこでも必要なコミュニケーションのあり方ですが、具体的に言い切った時の、抽象概念との差異を意識しておくと、その後の言動(言葉と行動)を準備するきっかけにすることができます。

考え、言葉にし、人に伝える、これらは、もうひとりの自分との対話の結果であり、プロセスともなりますが、同じように意識の対象にすべきものが、他の人の行動、言葉、考えです。他の人の考えを知るきっかけとなるのが、その人の言葉であり、行動であること、相手も同じように、自分を観ていること、日本にいるとあまり意識されない場合もありますが、それは、自分の立ち位置や環境は不変で、何時までも続くという一種の錯覚によるものです。母国語が異なる人々との接触で、そのことを、より強く意識できるようになります。意識すれば、気が付くことがあります。気が付けば、考えたくなることでしょう。そういうことは、改めて、日本での、日本語による、日本人同士の対話や行動を見つめ直す、良いきっかけにもなってくれるはずです。