フロー理論から想像するチームの成長

チクセントミハイ教授のフロー理論

フロー理論の表

フロー理論とは、アメリカの心理学者、ミハイ・チクセントミハイ博士の主唱する学説で、図のように、人は自分のスキル(技能)とチャレンジ(挑戦意欲)が見合う、時間や空間の意識がなくなるほど自分の行動に意識が集中し、一種の恍惚とした幸福感を得られるフロー領域を持つという考え方です。このことから、人の成長を、図の A, B, C, D状態のように、フローとの関係で説明することができます。

Aの状態からスキルが蓄積され習熟すると、既存の環境での行動や課題対応が、より容易になりますが、同じ環境や行動には、そのうち、退屈を感じたり、飽き始めます。(B状態)。この時、既に持つ技能に見合い、精一杯の努力を必要とする、より難易度の高い、新たなチャレンジを課題とすることでフロー領域に入り、真剣に、夢中になって取り組めるようになります(C状態)。その後、より高いレベルでの技能習得が進みますが、技能や知見が十二分に蓄積されることで、強いチャレンジは必要とされなくなり、いずれは、退屈の状態、Dの状態に至ります。改めて、チャレンジを高めてやることで、より高いフロー領域での活動が可能となり、同様のレベルアップを繰り返すことで、成長は無限に可能であるとフロー理論で主張されます。

チクセントミハイ博士がフロー理論を導き出した研究対象者は、その道のプロフェショナルや高度技術を持つ人々で、既に、高度な一定レベル以上の技能を持っている人々の観察結果としての理論提唱です。私のような凡人は研究対象になっていないということですが、フロー理論のチャレンジ、スキルに具体的数値指標が明示されている訳ではありませんし、理論の考え方は、私を含め一般の個人のチャレンジとスキルを時系列で捉えた成長プロセスとして捉えてもムリはないように感じられます。

日本では、「無我夢中」、「一生懸命」という言葉や「頑張れ」、「ファイト」といった励ましの言葉が一般的に利用されており、「一念岩をも通す」、「雨垂れ石を穿つ」など、少し意味合いが異なりますが、日本語を通して慣れ親しんだ故事や考え方があり、根っこの部分では、フロー理論と共通項を持つ考え方、人の心の見方を、多くの人々が既に持っているという文化背景があります。理論だから頭で理解するということでなく、そのように教わり、誰もが個人の体験を通して自覚できる意識としての基礎を持っているはずです。フロー理論は、それら日本語で言う心の状態を科学的、理論的に裏付ける学説であると感じられます。

フロー理論から会社チームの成長を想像

チクセントミハイ教授は、人がフローという心の状態に至る条件を以下のようにまとめています。

  • すべき行動とその方法の理解と意識
  • 行動結果の理解と意識
  • チャレンジとスキルのバランスの理解と意識
  • 行動は意識の協働であるという理解と意識
  • 行動に没頭する環境の理解と意識

その結果として、時空間を忘れて、行動に没頭し、その行動から幸福感が得られるという心の状態、フローという領域での活動が可能となる訳です。それぞれの条件を「~理解と意識」としましたが、チクセントミハイ教授が、「~理解と意識」と言っているのでなく、教授の言葉を少し膨らませて、私の捉え方として記しました。頭で分かるだけでなく、そう意識すること、行動の結果と意識それぞれの相関を感じることがフロー活動に必要なことであることを教授は言っていると考えられるからです。それに、そう考えると、日本語で発想する私たち日本人にもっと分かりやすく思考を展開しやすくなります。

述べたフロー領域に達する条件を分解すると以下の要素を捉え直すことができます。

  • 現状の理解と意識(スキル、チャレンジなど)
  • 行動の内容、方法、結果、環境

フロー理論のスキルとチャレンジの相関という枠を、これら現状、意識、行動という要素の枠組みに捉え直すと以下のような図が想像されます。

ビジョンフローの構造図

現在のスキル、チャレンジ、意識、環境などをよく理解し、自分が何を目指しているのか、その望む姿をよく理解し、意識することで、その両者の間にあるギャップが自然に見えてきます。その両者のギャップを埋めるために必要な具体的な行動を理解し、意識し、もちろん、実際に行動することが、すなわち、時空間を忘れて没頭できるフロー領域内での活動を意味するというように捉え直すことができます。

チクセントミハイ教授の言うスキル(Skill)は、訓練などで習得した技能を指す英語ですが、日本語の語感としては、技能や技量というよりは能力(Ability)と言った方がフロー理論の理解に相応しいようです。チャレンジ(Challenge)も、英語では困難なことに立ち向かう心意気を言うようですが、挑戦と直訳するよりは、望む姿を目指す行動と簡単に言い表す方が使いやすく、日本語としてもより一般的な意識を言い表せます。

図のように示すと、チクセントミハイ教授の提唱するフロー理論は、心理学としての成果であり、個人の心の状態を表すというだけでなく、人の集まりである会社やプロジェクトなどのチームのあり方についても普遍化できると想像されます。

会社の現状を多様な視点から捉え、会社のビジョンの理解を深めることで、その両者にある差異、ギャップが見えるようになります。会社の活動とは、そのギャップを埋めるための行動であり、その行動に、文字通り、時間も忘れて没頭するには、それらをよく知り、今の自分の行動が何を意味するのかを、絶えず意識する環境や文化が必要となっていると読み替えることができます。

とするなら、社員や自社の能力に不平不満を持ち、社員の入替を望むより、具体的に教え合い、訓練し合いながら、目指す姿の共感度をより高め、一緒に取り組む姿勢の会社の方が、はるかに人の心をよく理解し、かつ、よりビジョン実現化の活動に相応しいと言えるではないかと考えられます。

いささか飛躍し過ぎではありますが、個人的には、このことは、歴史的に長らく伝えられてきた日本人の文化と、とてもよく重なる考え方になっていると感じます。大震災など非常事態の中でも、お互い助け合い、共に苦難を乗り越えようとする姿勢は、他国から観れば、とても奇異に思われる姿として捉えられています。満員電車でも列をなして待ち、人に迷惑をかけないようにしようということがフツーに対話される国が珍しいと言われることは、篤い宗教心を持つ人が多いと思われる他国ではそうではないことが一般的であるという証左となっています。日本人は宗教というより、より現実的に意義のある、人として望まれる姿を目指すという考え方が日常に密着している国であると改めて振り返ります。