個人的中小企業のフロー理論展開

「仕事は楽しくなければならない」

それは、仕事に熱中できる環境や会社の文化、そして、心底集中できる仕事そのものを期待することを指す言葉です。そう思うのは、恐らくは、これまでも、解決可能かどうかを問うのでなく、ただ何とかしたい、しなければならないと、時間も忘れて無我夢中に活動した時の境地を体験的に知ったからなのかもしれません。

チクセントミハイ教授のフロー理論は、夢中になるというそのあり様を、アカデミックな理論として説明してくれています。しかしながら、中小企業に関わるひとりとして、学術的なその道の先生になろうとするのではなく、自社の経営や自分の生活に、実践的に利用できる考え方として理解、消化したいと思う次第です。独断と偏見に満ちた狭小な考え方になるにしても、少しでも、日々の業務や生活にとって有意義に、より具体的に利用できるよう、個人的に、フロー理論の考え方を展開したいと思うのです。

フロー理論とは

フロー理論は、人は、寝食や時間を忘れてワクワクして活動に没頭する時があり、その様子は、スキルとチャレンジの相関で、特定の領域=フローにある状態として捉えることができ、フロー状態の活動によって、人はいつまでも成長できるという考え方です。

右図のように、チクセントミハイ教授はフロー領域を説明してくれているので、それぞれの単語を日本語に置き直せば、そのまま理解できるように思うのですが、原著は英語で記されており、英語と日本語の言葉の持つ意味合いの差などがとても気になるところです。

個人的に確認し、留意すべきと捉えるのは、以下のような事柄です。

  • スキルという言葉は、英語圏では、努力や訓練によって身に付けた能力という意味合いで使われ、性格や天性的なもの含まないようであること。身に着けようとする個人の努力と共に、役務などを前提として練習、訓練によって習得された能力のことを、特に、指すということから、結果として身に着けた能力だけでなく、それまでの訓練と努力というものの必要性、重要性を彷彿させる。
  • チャレンジは、挑戦、挑むという意味の他に、手ごたえ、やりがいというように、意欲を呼び起こすモノゴトを含む言葉であること。日本語では、「挑戦」という言葉から主体者の意欲が強く意識され、「手ごたえ」、「やりがい」という言葉は、主体者と対象との関係性を、むしろ意味するように感じられる。ここでいうチャレンジは、自発的にしようと思う意欲だけを意味するだけでなく、その環境や状況、そして対象など、より広い意味を含む言葉として捉えたい。
  • チクセントミハイ教授は、縦軸の「チャレンジ」とは別に、”Opportunities for action”という表現も用いている。オポチュニティは機会というよりは、日本語の「好機」という意味合いが強いようで、英語でいうオポチュニティには、偶然性は含まないという点でChanceと区別されることがあると言われる。何かの行動の始りの機会を意味する日本語である「きっかけ」、または「手がかり」という言葉に置き直してみるとより実感を持って想像できるかもしれない。

フロー領域:チャレンジとスキル相関図

努力と訓練によって、人は能力を身に着けます。能力は身に着けただけでは意味がありません。その能力を最大限活用し、手ごたえが感じられなければ、手持無沙汰、退屈な状態になってしまいます。能力を活かし、やりがいを感じられれば、もっとやろうと意欲も高まりフローの状態で活動することができます。(左表、B~C)それでも、習熟度が高まれば、かつては、最大の努力を要した活動も簡単にこなせるようになり、意識的努力を必要しなくなります。(C~D)

新たな、あるいは、より大きい、手ごたえのある挑戦対象や、環境などの変化でやりがいを持てる環境意識できるようになれば、人はフロー状態を取り戻すことができることができます。チクセントミハイ教授は、この連鎖はエンドレスで続けられ得ると啓蒙しています。

利用しやすくフロー理論を単純化

チクセントミハイ教授のフローモデルを自己流に単純化して、中小企業の経営に利用しやすく、つまり、具体的な行動に結びつけることができる考え方として、自己流に捉え直してみます。「具体的な行動」を取れるようにするには、経営者や専門知識を持つ人だけでなく、一般社員はもちろん、経営に関わる人誰もが理解し、意識できる考え方、表現が求められます。

  • フローモデルを簡略化して、図のような、4象限のフレームで捉えてみます。
  • このシンプルなフローモデルの意味することは、人は誰でも、不活性(無気力)な状態にもなれば、ハラハラやウンザリ、そして、ワクワクするフローの状態を持つことがあるということです。
  • それぞれの状態を「ワクワク、ハラハラ、ウンザリ」と日ごろ使われる、平らな言葉で表現してみると、人は誰でも、本来、ハラハラやウンザリよりはワクワクの状態を期待するものだろうことが合点されます。

この簡単シンプルな図を重ね合わせることで、フロー体験による成長はエンドレスで進行し得るあり様を視覚化して捉えることができます。

これは、右肩上がりを示す理想モデルと想像されますが、実際には、「人生、楽ありゃ苦もあるさ」ということで、人の意識はフロー状態にあり続けるのではなく、ハラハラとウンザリの狭間を行ったり来たりするというのが実感であります。視覚化すれば、以下のような例として捉えられます。

絶えず努力と訓練を繰り返す組織=フロー体験を活用する中小企業

フロー理論はフロー体験を学術的に理論化した学説ですが、人というのは、誰でも、ハラハラの状態、アキアキの状態、そして、ワクワクの状態を持つことがあることは、体験的に意識できることです。また、できるなら、人は、ハラハラやアキアキでなく、ワクワク状態にありたいと自然に思い願うというのも、人情としてムリなく捉えることができます。

スキルという言葉を、努力と訓練によって身につけられた能力であることを意識すると、能力は、単に個人の努力の成果というだけでなく、それは訓練の賜物でもあるという視点を持つことができます。資質的なものを問うだけでなく、成果をタイムリーに自分で確認し、努力と訓練を継続できる環境、やりがい、きっかけを絶えず得られるようにすることが能力を果てなく向上させる、つまり、フロー体験をより多くする、少なくともひとつの方法であると思い当たることになります。

フロー体験を活用する中小企業とは、弛まず努力と訓練を繰り返す組織、チームであろうと捉えられるなら、その最も根幹的存在である経営者、そして、幹部が、日常的にそう行動するかどうかか問われるところとなります。また、規模に関わりなく、チームのリーダー養成が努力と訓練の対象として行われるかという視点も同時に彷彿されるべき点になると言えます。

経営というものを、人が人と共に、人のために行う営利活動と抽象的に表現し、捉え直すことで、経営とは、すなわち、人作りであることを思い出し、優秀な人材を採用することだけがチームの力を向上させるのでなく、チームが目指すもの、チームそのものが持つ文化を元として行われる努力と訓練が、モチベーションアップとスキルアップを実現させると感じさせます。