東日本大震災の悲報を聞いたのは、日本から遠く離れた南国の、あるホテルのロビーにあった大画面モニターを通してのことです。その日の前後、その地を訪れた各国バイヤーとの商談が予定されており、私は、前打ち合わせ、顧客アテンドのため、しばしホテルと現地法人との往復を繰り返すことになっていました。
数日間のことではあるものの、同じ時間に同じ場所に連日いたからか、ホテル社員や周りの人にも、私が日本人であることが知られるようになり、誰からともなく、皆、私に握手を求めてきます。日本の悲報を聞いて、そうせざるを得ないのでしょう、日本人がほとんどいない場所で、初めて合う、西洋、東洋の人々からお見舞いや励ましの言葉を頂戴するのは申し訳ないやら、とても気が引けるやらではありましたが、握手を求められてそうしないということもできず、曖昧な表情のまま、多くの手を握り返しました。
毎日、東日本の様子がモニターで映し出され、自分自身も気になりながらも顧客と話していると、ロビーがどっと沸くことがありました。荒廃した地にポツンと立つスーパーマーケットの前に、被災地の人々が行列を作って開店を待つ様子が、ロビーの大きなモニターに映し出されていました。
私のお客さんも含めて皆が口々に感想を述べています。
「オレの国なら、スーパーの建物自体がもう無くなっていただろう」
「ウチの国なら、まず金持ちが物資を最初に買い占め、その後、高値で売りつける」
「ワタシの国では、災害時は必ず、スーパーは暴徒に襲撃され、全て持ち逃げされる」
日本の常識が世界の非常識であることを示す一例とでも言えるのかもしれませんが、一様に日本人の規律正しさなどを称賛し、また、羨む言葉を口にします。そうしていると、初めて合うアジア人のひとりが、私に質問を投げかけてきました。
「なぜ日本人はこういうことができるのか?」
私自身が日本人の代表と思われては、他の日本の人々に申し訳ないと思いながら、同じ日本人として、それが、日本全体の傾向として言えることなのか、いつものことながら、テレビニュースは一抹の事実が、さも全体の傾向のように誇大に説明しているだけのことではないのかと訝しく思いながら回答に躊躇しました。
ふと思いついたのは、日頃から持つ疑問のことでした。咄嗟に私の方からも質問を投げかけることで応えました。
「日本は一時はエコノミックアニマルと言われ、無信心、無宗教の国と喧伝されたことがあります。大災害時など、ある国ではその度に、商店が奪略に合い、必ず戒厳令が敷かれたりしるのを聞きますが、そういう国には、日曜日ごとに必ず家族で礼拝に通ったり、または、一日に何度もお祈りをすることが習慣の、とても信心深い人々が大勢います。無信心と言われる国の人々は災害時でもスーパーで列をなし、宗教心の篤い人がたくさんいる国では軍隊が出動する、それは、むしろ、逆であらねばならないように感じますがどう思いますか?」
その人は然程真剣に質問した訳ではなかったのかもしれませんが、質問を質問で返され、ギョとしたようです。「ちょっと待っててくれ!」と言うと、仲間の方に戻っていきました。私も仕事に戻りましたが、しばらくすると、またまた、その人が現れ、お客さんの前で滔々と自説を披露しました。
「日本の歴史はああでこうで、日本人はこういう風のようだ・・・災害時でも日本人が規律正しくあり、お互いに助け合うことができるのは、それはサムライの国だからに違いない!」
期待していた訳ではありませんが、やはりその言葉かといささか拍子抜けしたのですが、私のお客さんも深く頷いて賛同しています。敢えて記す必要もないとは思いますが、彼らが私や特定の日本人をサムライと観ている訳ではありません、ただ、日本人の所作に、日本以外の地域では見られない礼儀正しさ、律儀さ、正直さなどを見出すと、それが自分らの文化では説明できないが故に、日本の特殊性、独自性を「サムライ」という言葉で、珍しい人々のことを表現するのです。それまでも、しばしばあったことなので、「サムライ」という言葉は既に食傷気味になっていました。
ただ、同時にとても不思議に思っていました。それは西洋とは異なるというだけでなく、同じ東洋圏にも同様の例を持たず、日本だけが持つが、日本人全体の持つ特殊性を指し示す言葉であるということです。日本人にもいろんな人があることを、日本人であれば当然知っていますが、日本国内だけにいて、日本人同士でいるだけでは気づかない習性、文化というものがあるというのでしょうか。文科省が指定する教科書には書かれていない、日本人でありながら、多くの日本人が教えられていないことがあるというのでしょうか。2000年という時代になっても「サムライ」という言葉が、日本人アイデンティティとして、海外の人が好んで、また、少なからず用いる言葉であることに、何やらとても摩訶不思議なものを感じるのです。そう思い続け、またかとも思いながら、その時、ふと「待てよ」と思ったのでした。
仕事を終え、アパートに戻り、日本から持ってきた新渡戸稲造さんの「武士道」を改めて開きました。新渡戸さんは英語で「武士道」を書いたので、須知さんという日本人が日本語に対訳したものを読み返します。確か、本の最後の方に書かれていたはずだが・・・と探して再読したのが以下の文章です。
・・・武士道は、一個の独立した道徳の掟としては、消え去ってしまうかもしれない。しかしその力は、この地上より滅びはしないであろう。その武勇と文徳の教訓は、体系としては崩れ去るかもしれない。しかしその光明と栄光は、その廃墟を乗り越えて永遠に生きてゆくであろう。その象徴である桜の花のように、四方の風に吹かれて散り果てても、その香気は、人生を豊かにして、人類を祝福するであろう。100年の後、武士道の習慣が葬り去られ、その名さえ忘れられてしまう日がきても、その香気は、「路辺に立ちて眺めやれば」目に見えない遠い彼方の丘から、風と共に漂ってくるであろう。・・・
「BUSHIDO」が英語で上梓されたのが1900年。2011年とは、やはり「100年の後」のことであることを改めて認めることとなりました。