モチベーションを考えるなら、モチベーションのない時とモチベーションが高まる時のことを思い出したり、想像すれば、自然に、モチベーションが何かが見えてきます。
モチベーションがないシーン
「ウチの社員にはモチベーションが全く感じられない!」とプンプンしながら、窮状を訴える、施工家具会社の社長がいます。社長が制作したウェブサイトで問合せ、注文が急増しており、それは社長の自慢のひとつになっていましたが、にもかかわらず、人を増やそうとか、一件あたりの作業時間を減らすだとか、より多くの対応を可能にしようとする考えも姿勢もないと怒っているのです。社長には社長の仕事があるため、現場は全て社員に任せています。大学院を卒業なさって、代替わりで御尊父の跡取りとなって頑張っておられる訳ですが、その仕事というのはCO2排出量削減の研究です。
「どうしてこうもモチベーションのないやつばかりなんだ!」と怒鳴り散らすのは、貿易会社の社長です。3か月前に入社したばかりの社員から退職願いが、また、提出されました。この半年で3人目の退職となります。入れ替わりが激しく、ひとりしかいないせいか、古株のように見える社員は言います。「モチベーションが高いからやめていくということだと思うんですけどね」
昭和の頃もそういう会社はありましたが、高度情報化が進行する、平成、令和の時代、まだ、そういう会社があるかというより、むしろ、多くなったように感じます。とにもかくにも、売上を伸ばし、原価は下げ、カネを儲ける、今も昔も小企業はそういうもんだと思っていますが、でも、何か変わってきたなと感じます。
モチベーションが高まるシーン
「もうダメだ!」と、ファブレス企業の幹部が、数人の社員を目の前にして嘆きます。大きな受注のために生産依頼をかけていた工場が焼失したと電話が入ったのです。間髪を入れず、社長が大きな笑い声を上げます。「アハハ、そうだな、全くその通りかもしれん。しかしな、俺は、工場がなくなったから取引できません、ごめんなさい、さようなら、とは言いたくない。納期まで、まだもう少し時間がある。最終的に責任を追及されるのはオレだ、皆、心配せず、まず、現状把握、もっと現状をよく確認しろ。俺はこれから別の工場を当たる」。青ざめた顔つきの社員の目が、みるみるうちに生気を取り戻していきます。
「社長!申し訳ありません!1千万円焦げ付きます!」得意先のひとつが倒産したと聞き、財産保全の張り紙を見てきた社員が、回収の見込みがなくなったことを社長に報告します。不運を呪いながら、このまま会社におられないだろうと覚悟し報告します。「何!」一発くらいは殴られるかもしれんと身構えます。「そうか、ほんだら、税理士先生にまず聞いてみる。回収できないもんをそのまま帳簿に載せておきたくないからな。ちょっと大きいな。まま、お前はこれまで以上に営業に集中して、できればその分も取り返せるよう頑張ってくれ。頼むな。あとは引き受けた。」その社員は、滂沱の涙をぬぐおうともせず、全身に力が戻るのを感じていました。
小企業であるが故に、キーマンとの接触の機会は多くなりますが、それは、小企業であることの醍醐味のひとつと言えます。有名な人の書いた本を読むだけでなく、実際に、謦咳に触れるチャンスも多くなるのですから。
モチベーションは、絶えず、人との関係、環境、状態などの影響を受けています。誰もが経験している通り、モチベーションは、成長が期待される時、また、感謝の念を感じる時に、なお増すものです。それは、本当のこと、本音を言い合える場と相手がいるということです。
モチベーションに必要な土台
モチベーションがないシーンとモチベーションが高まるシーンの両極端の実例を記しましたが、少し、くどい言い方をすると、それは、モチベーションがないと思われているシーンであり、モチベーションなんぞ持ちようのない場で、瞬間的に、そして、自然にモチベーションが湧いてくるシーンということになります。誰がどうのという視点が持たれやすいのですが、モチベーションを育むという視点でみつめてみると、少し違う発想が生まれてきます。
モチベーションは、自分が、または、我々が共に成長できる、今よりも、もっと望む姿に近づけると感じ、具体的な方法や行動を知る時に高まります。また、自分の努力や頑張りに共感や理解を得られたことの有難さを感じる、つまり、感謝の念を持つ時、思ってもいなかったモチベーションが湧きだすことがあります。感謝とは、普段は望むべくもない「あり難き」ことがあったという感動であり、その感動が、相手を敬う気持ちにさせることを言います。それは、相手の期待に沿いたい、相手が自分を励ましてくれた以上に、もっと喜んでもらえる感動を与えられるようもっと努力したいという、行動を強く意識させる感情です。
モチベーションの土台その1:共通の方向性と納得のいく行動
会社というのは、事業を育てる、そのための人を成長させる機関と捉えることもできます。できる限り優秀な社員をインプットすれば済むということでなく、同じ方向を目指して、チームとして、統合され、組織的で、納得のいく行動があることで、人、事業共に成長するというアウトプットが生まれることが求められます。自分の思う、成長し望む姿と、相手の思う姿が全く異なるなら、モチベーションは生まれようがありません。また、目指す姿が仮に同じであっても、目指す方法や行動が全く別々でバラバラなら、やはり、モチベーションは発生しないものです。
「一緒にヤル気あんの?」という時、それが単に「モチベーションあんの?」と問われているのでなく、同じ方向へ向かって、同じ方法で行動するという意味での「ヤル気」、つまり、モチベーションを問うていることは誰でも知っています。ということは、モチベーションの有無よりも、日ごろの共通の方向、一緒に行動する方法について、情報の共有化というような張り紙のようなものだけでなく、共通の意識を共育する取り組み、コミュニケーションがなされることが、モチベーションを育む土台になると、もっと想像されて良いはずです。
モチベーションの土台その2:結果の照合とカイゼンのための協働
方向性も方法も共通意識化されて一生懸命に努力できる環境を整える、ということな訳ですが、行動の結果がいかなるものであるのかを、都度、思惑と照合できる、期待される反応を得られるかどうかをチェックできる体制が、モチベーションを維持させます。それは、張り合いという言葉で言われる一種の緊張感です。いちいち反応を伺うということがしにくいので、何か指標を持つということが一般的に行われています。
時に、それをノルマという言葉で捉えることがありますが、共産主義的必罰がイメージされるノルマというロシア語を使うのをやめ、フツーに基準という日本語で理解して、基準に達しなかった原因やリカバリー方法など、カイゼンを考える機会と捉えられる環境が、モチベーションを強く支えてくれます。
小企業の場合、基準というものが明確になっておらず、絶えず、特定の人の評価次第となっていることが多くあります。「社長に聞いて」、「社長が決める」、「社長がいないからわからない」、これらの言葉は、基準があいまいなままで、わからないことは全て責任者に確認しなければならないという日ごろの体制を表しています。社長に作業や仕事の進め方についての進言がないというのも同様で、指図されたことをやるだけで不十分だと、都合のいい時だけに言うのでなく、日ごろから、仕事のやり方そのものについて話し合える体制にしておくことが、意味のあるコミュニケーションに必要なお膳立てとなります。それは、言うべき時にハッキリとものを言わない側の責任を明確にもするもんです。