若かりし頃は、営業で外回りをする前には、ポケットを10円玉で一杯にし、営業心得として、得意先事務所に入る前に、近くの公衆電話の位置を把握するようにアドバイスを受けたもんです。携帯電話やスプレッドシートの出現に、落涙するほどの感激を生じたことを昨日のことのように思い出すことができますが、そんな今やいい年になった者は、何と言っても、ウェブを通して得られた機会こそが、単に思い出というより、よくも得られた小さな奇跡であったと今も感じています。
海外資産売却というウェブから得た奇跡
中小企業と言っても、どちらかというと小規模の方に属する企業で活動してきた半生でしたが、20年以上関わった会社で、海外事業の運営に十数年間勤しむ機会を得ました。後で思えば、日本で「失われた20年」とも30年とも言われる時期に、海外で活動できたことは、それはそれで幸せであったと考えることもできますが、惜しむらくは、結果として、その海外事業の閉鎖と現地資産売却の使命を帯びることとなります。
日本本社のボスの希望、そして、指示は、最低でも時価相当額による売却であったのですが、150名ほどおった現地社員には、事情説明に時間をかけ、残務を頼む一人を除き全員に退社してもらい、退職金、納税額、社員ひとりの給料などを除けば、その時点での手持ちキャッシュに余裕はなく、1.5年ほどの期間で処理できなければ、たたき売りか、資産を抛って帰らざるを得ない事情であることを、まずは確認することから始まりました。
不動産やM&Aの知見を持たない者が、資産売却という課題を目の当たりにしてしたことと言えば、まずは、現地不動産業者、M&A支援事業者、弁護士、コンサルティング会社などとの折衝、交渉であります。しかし、不動産業の成約後リベート支払を除き、その他全てが前払い契約であり、かつ、必ずしも、資産売却という成果を保証するものでないことを知り、主には、当時保有する流動資産の事情から、自分ひとりで売却を目指して活動せざるを得ないことと相成りました。
一時帰国し、各都市で開催される、海外セミナーや海外展開講座などの会場に立ち入る許可を得て、お手製の資産売却パンフレットを手渡しで配って回りました。できる限り多くの行政機関、商工会議所などに連絡、訪問し、事情説明や資産売却条件などの伝達をお願いしました。また、これまで、取引関係にあった企業などにも協力を要請して回ることもしました。
半年ほどの活動で、千部以上の資料配布や、百数十件の相談、依頼などを完了、活動に没頭したというだけであり、問い合わせ一本すら発生しないという事実に大いに幻滅させられます。資料制作よりも交通費、宿泊費に多くの費用を費やしたことを悔やみ、資金の残額を気にしながら現地法人に戻らざるを得ないと決心することとなります。
わが身を振り返ると、私の人生で、日本語でいう「我武者羅」という言葉は、その当時の形容にピッタリしています。ない頭を振りながら、コネなし、カネなし、ツテなし、頭文字を取れば、全て「コカツ」かと開き直って思ったのが、ウェブによる集客です。そもそも、交通費すら困る資金残となり、もっと早く気付くべきであったのです。
現地法人のウェブ制作は、私自身が五十の手習いでし始められた経緯があり、CMSのWordpressという無償のウェブ制作システムに素直に感激していたもんです。事業運営にウェブを利用していなかったのに、資産売却に利用するとは、これまた、遅すぎると自戒しながら、それまでの現地法人オウンドサイトを、自社資産売却の内容に改変し、自分が買手であれば欲しい情報は何かを思いながら、それまで以上のウェブページを追加、追加、修正、修正を繰り返しました。日本語だけでは不足と、大してない語学力の範囲ではありながら、英語と、現地語による広報もし始めたのです。
結果、当初想定した1.5年間という期間ギリギリ一杯で、期待した時価相当金額による売却を果たすことができました。誰も知らない地域の、誰も知らない会社資産を、法人閉鎖のため、時価で売りたいなどということは、不動産のプロフェッショナルに言わせると「売手の人は皆、最初はそう言う」に過ぎないもののようです。M&Aのプロも、名もない会社の資産売却なら「叩き売り時間をかけない」のが上策と言うのも、単に我利だけでなく、半ばは統計から得られた知見から、クライアントのためを思えばこそのことであったのだろうことを、全てが終わってから、振り返ることができたのです。
売却成約前までに、欧州、北米、東アジア諸国などから、およそ50者が来訪し、商談する機会を得ることができました。その半分から6割は、冷やかしの類であり、明らかに詐欺行為を目論むと想像される人々も含まれていました。不動産登記などを先に書き直させてから、後で支払うというようなことを初めて会う席で交渉しようとすることなどは、いくら能無しの私であっても、思わず微笑んでしまう見え透いた言葉であったことを思い返します。
まさか!2度目のウェブの奇跡
我武者羅に根を詰めた結果、帰国してからしばらくは魂の抜け殻のようになって暮らしていましたが、その後、海外展開を目論む中小企業と出会うこととなり、顧問のような形でしばらくご一緒させて頂く機会を得ました。
その会社はODA採択を受けた機械製造業者でありましたが、オーナー経営者が高齢となり、事業承継を海外展開と合わせて目下の課題としていました。20人足らずの社員であり、独自の、そして、いわゆる途上国と言われる国々の要求に合致し得る技能が提供できると判断されれば、中小規模でもODAの採択を得られるということを、この時初めて知ることができました。
それまで海外取引の知見を持たない会社であり、会長と社長以外、海外渡航経験者がいないという状態であったため、まずは、海外に出る前に、少しでも海外との交渉などをODAとして取り組む必要があることを痛感しました。大きな追加投資は果たしがたいため、ウェブ立ち上げと運営をスタートし始め、日本にいながら、海外との接触を試行してみることを提案、承諾頂きました。
いつまでに・・・何を・・・というような具体的制限はなく、海外接触を試みて、英文メールによる交渉などをまずし始めることで、英語や英語による交渉に慣れようという大雑把な目的から始められたことです。元より、具体的な問い合わせがすぐに発生するとは思っていませんでしたし、私のような英語力を然程持たない者でも対応できると思い、ウェブについても、これまで通り、Wordpressで日本語と英語サイトをまずは作ってみようか程度の思いで始めさせて頂いたものでした。
そもそも、当社は会社オウンドサイトを持たなかったため、最初は、日本語のウェブサイト作りに集中することになり、それは同時に、私自身が、当社の技能を学ぶ機会となってくれました。技術者ではない私には、機械や電気の専門用語は理解できないのですが、専門家同士であれば必ず知りたくなるポイントなどをインタビューしながら、また、私のような素人であれば教えて欲しい内容などを追加しながら、数カ月で日本語サイトを、まま、形づくることができました。その間、ODAに関する業務を並行して対応していました。
英語サイトの制作は、日本語サイトが完成前後から開始され、日本語サイトに遅れること、2か月ほどで仕上げました。仕上げましたとは言いながら、専門語などの理解がないため、あくまで基本的なコンテンツと、これまで代表的な機械の諸元、スペック、持てる技能のポイントを英文に置き直したウェブページだけで構成された、いわば、端折った内容であります。おいおい、日本語ページ同様、英文ページも追加していけばよいだろうという割り切りです。
英文ページを公開して、1カ月ほど経過して、米国中部の州にある会社から問い合わせを得ました。曰く「御社機械、JPY–,—,—相当の機械について、当社希望機能に合わせて見積もりされたし」。面白いとは思いながら、世の中には、何やらかんやらと、ウェブで一儲けしようとする人がいることに注意せなアカンことを肝に銘じながら、事務的に希望機能などについて返信をかけ始めました。
ほぼ1カ月ほど経過して確信したのは、相手は当社機械購入を前提として交渉しているということです。支払条件:製造開始前半額前払い、出荷前残金決済について承諾確認を得た後は、なお、確信を深め、当社会長や社長にとても喜んでもらうことができました。最初は比較的定額な規模の発注で信頼を得てから、後々、オーダーを大きくして、支払条件を変えて引っかけるというようなプロ集団がありますが、それは、家電など一般消費財の場合に見られる手口であり、機械製造販売のような受注発注、単品販売では聞いたことがないことなどを説明しながら、関係商社筋の信用調査書報告などの裏付けもあり、私自身、相手が真摯な取引先であることにとても感謝したもんです。
私自身が学習したのは、日本国内の業界筋で、既に陳腐化したと思われている技能しか持たないと思われている企業でも、場所と相手を変えることで、その国内では時代遅れと思われている知見を活かし、商売が可能となることがあるのだという事実です。なぜODAに選択されるのかと問う時、案外、この辺りが、知っているようで知られていないポイントになるのではないだろうかと感じたもんです。
以上、とっておきの自慢話でした。そうはならなかった数十件のウェブ事例も合わせて持ちます。誰にでも申し上げたいと思うのは、私のような小さな私でも危急と思われる状況を脱し得たのだということ、アナタならもっとうまくやれるはずであるということ、そして、どうやるかを知ろうとすると同時に、どう考えるかを、より深めることの必要性です。
私自身、どうしたらもっとうまくできるのか?儲けるにはどうすればよいのか?問題解消をどうしたら可能にできるのか?など詰めて考えてきたひとりです。そして、行き止まりという標識を目の当たりにすることで、焦燥感と不安から恐怖しか感じられなくなることがありましたが、全て「コカツ」したという時でも、考え方を考え直すことは、まだ十分にできるものです。
やれることから、し始める
日本から6000km離れた遠国で、何遍も繰り返した言葉を、単に言葉としてだけでなく、実際の行動として行うことで、また改めて見えてくること、思うこと、感じることがある、それをまた新たな基盤とする・・・考え方を再検討するということも、何かのブレークスルーのきっかけになってくれることがあるという事例でした。