ウェブは不可能と考えることを可能にする道具

ラップトップコンピューターとコーヒーの画像

これまでの日本と海外の経営実務、ODA採択企業の後押し活動において、こんな私にも、とても印象に残る「奇跡」的成果との出会いがあります。それは、新たな人との関係造りという得難い機会でありました。いずれも、インターネット技術の所産、ウェブという道具を通して獲得できたことを思うと、これまで「奇跡」として、全く不可能と思われていたことでも、現代のICT活用によって、全く無名の個人の活動であっても、望む姿を現実化できることがあるのだという、とても面白い事例になると思います。

誰も知らない海外工場の売却

日本から6000km離れた国の日系法人が閉鎖することとなりました。不動産業とは縁のない事業であり、現地資産を売却するため、まずは、現地不動産の専門家に相談することになりました。不動産のプロフェッショナルは、時価で売却したいと考えるのであれば、成約までに少なくとも5年以上の時間が必要であり、半年から数年で売却を果たしたいのであれば、いわゆる叩き売りしか方法がないだろうことをアドバイスしてくれます。

閉鎖法人の社長は、それが閉鎖企業資産売却の常識であることを噛みしめながらも、時価で、かつ、遅くとも1年半以内に売却したいという希望を主張します。不動産専門家は、「売手の方は誰でも最初はそう仰るのです」と、希望通りには十中八九、なり難いことを予測するからこそでしょう、プロフェッショナルの余裕と貫禄を持って諭してくれました。

不動産専門家の姿勢はあくまで待ちであることを確認した社長は、自分自身で売却活動を行うべく、日本に一時帰国、国際展示会や国際関連セミナーなどに参加、売却物件の紹介、販促を試みました。しかし、半年間、日本の主要都市を走り回り、活動資金のほとんどを消費したにも関わらず、望ましい相手との邂逅を果たすことができず、残り時間はあと1年となってしまいます。

残り時間より、残り資金の希少さが大きな理由となって、社長はウェブサイトによる情報提供と集客をやり直し、ローカルでの売却活動に集中しようと決心しました。然程に、もともとはウェブに期待していなかった訳ですが、日本で、一種ビラ配りのような活動では全く意味がなく、授業料が高過ぎることを肌で感じた結果として、まずは関心のある人だけにリーチする方法を磨かねばならないことを痛感していました。

現地法人ウェブサイトは社長自身がドメイン申請し、Wordpressで制作されたものですが、これをそのまま、当法人の売却情報提供サイトに転用します。当初は日本語のコンテンツから充実させ、英語、そして、ローカルの外国語への翻訳をサブドメインで公開するようになります。

社長はICTやウェブの専門家などではなく、Wordpressで、ある程度の美観は保たれるとは言え、そのウェブサイトの出来そのものは、ウェブ専門家が観れば笑止千万なものであったでしょう。しかし、社長の強みは、ウェブサイトのプロではなく、海外に法人設立を望む会社がどういう点を知りたがるかを自分ごととして良く知っていたことにあります。見てくれはどうあれ、コンテンツとしては、海外物件を検討する人であれば関心を持つ情報をこれ以上は書くことがないというほど充実させることになりました。当地で十数年活動したから持つ知見なども併せて記すことで、その内容が決して眉唾ものではない、真剣なものであることを表現しました。

外国語の知識は豊かではありませんでしたが、基本的なことが理解できれば文法などに拘る必要はないと独善的に考え、ともかく、ページ数、いえ、コンテンツを増やすことに注力しました。文字だけでは理解しにくい部分には、写真、画像などをクラウドツールで加工しながら掲載し、当物件はいつでもご覧頂けることを強調します。

日本中を駆け巡っていた時間と同じ程度の時間を、ウェブ制作にもかけたという頃になり、待っていた問い合わせが急に入るようになります。それまでは、ウェブ制作を手伝うやら、もっとアクセス数を増やせるという類の営業メールしか入電しなかったため、いささか幻滅しかかっていましたが、最初に受けた英文の問い合わせを見た瞬間には、社長は事務所の中で文字通り躍り上がって喜びました。また、英文問い合わせ、そしてまた、英文・・と、日本語での問い合わせがないことが気がかりではありましたが、ともかく、お客さんはお客さんと、次から次へと現地アテンドの予定を組んでいきます。喜ぶのはまだまだ早いことが分かるのは、最初の10組ほどの接客が終わってからのことでした。

十数年も海外におったので、日本の常識は世界の非常識ということはよく理解していたつもりですが、待ちに待ったお客さんとの邂逅が急に増えたことで、期待一杯になってしまっていたせいでしょう、お客さんを現地に案内し、勢い込んで商談をし続けてみて分かったことは、大半は相手が眉唾ものであるということでした。

  • ベンツに乗ってきたと思いきや、こちらの希望価格の1/10なら買うという人
  • 帰国後すぐに送金するから、まずは、当地で譲渡手続きを済ませたいという人
  • 知り合いが購入するから、成約の際には数十%のリベートが欲しいと主張する人

社長の期待した「お客さん」ではなく、ハッキリと詐欺と思われる人物もあり、最初の10組ほどの来訪者に対応して、ガッカリもしながらではあるものの、多くの学びを得ることとなります。落ち目の環境にある者を食おうとする輩が、国際という場であるが故に、こうも多く来訪するとは想像もしていなかっただけに、あまりにも稚拙な文言を聴いた当初は、返す言葉にとても戸惑うこととなりました。助かるのは、相手がわざわざ当地まで来てくれるため、こちらは、昼飯の現地出前代金程度で済むということです。欧州から来た、米国へ戻るなどと主張する人々も実際にはどこに居住するのかは分からぬことであり、なるほど、堂々としたその身なりや態度からは、ひょっとすると、すぐにでも公証人事務所で譲渡手続きをしてしまうということもあるのだろうかと、これまでは考えたこともないことを考えさせられることとなりました。

本当に期待していた「お客さん」の来訪は、サイトを仕組み直して8か月ほど経ってから発生することになります。紆余曲折ありながら、もうそろそろ当初思い描いていた「1年半」になる頃、期待していた通り、時価ではあるものの、金額がUSD 1,000,000 を越えるため、支払は半年間に3回の分割払いとして成約になりました。支払完了まで、今しばらく当地に滞在する必要がありましたが、これまでの懸命な活動に成果を得られ、社長はしばらく、「リハビリ」と称する放心状態の期間に身を置くこととなりました。

不可能と思われていたことに少しでも可能性を創り出す道具

人そのもの、そして、人と人との関係は偶有性に満ち満ちているため、ウェブという道具を利用しても、望む人との邂逅や契約締結などの成果獲得を確実にできるというものではありません。飛行機や自動車という道具によって、人が「奇跡的」に飛べるようになり、馬より早く走れるようになったとは言え、その道具の利用がすなわち、期待し望む姿をそのまま実現化する訳ではないことと一緒のことです。飛行機も自動車も仕事を効率的にし、望む成果に至ることを助けるものではありますが、それらさえ利用すれば、期待された姿を実現化できるというものではない訳です。

ウェブ、クラウドツールなどは、2010年になった今でも、企業や事業に、自動車ほど一般的に認知されていないようです。確かに、今や、どの企業もオウンドウェブサイトは持つ時代ではありますが、そこから発生する対話、コミュニケーションから、新しいルートや新しい機会を模索するという活動が、ほとんど行われていないように感じます。新たなコミュニケーションツールとしてのウェブも、ほとんどが、既存関係者間での利用に留まり、ウェブを通して新しい繋がりを創るなどということは「不可能」であると思われているようです。

不可能なことに時間を割くことは、非効率というより、無意味であると発想されるからか、日本では、まだ、多くの企業において、まず実際に面談するということが人との関係性を造る最初の基本行動となっています。

「1年半、時価で成約」という事実を聞いた、ローカル不動産業の専門家は、その後、かの社長に面談を求め、以前の鷹揚な態度ではなく、より親密に「どうやったの?」と教えを乞うのでした。「ウェブで」だけでは説明がつかないそのことを順次説明し、暫時、顧問的な位置を得るという、始めてのフリービジネスの体験を生じることは、「元」社長にとっては新しい驚きであり、「不可能」と思われていたことに少しでも可能性を創り出したことにも繋がります。

これまで、不可能と思われていたことに少しでも可能性を創り出すとは、0から1を生じさせるということです。1を2にするのと、差異の値は一緒でも、結果として大きな違いが生じてきます。既存のものだけでなく、未知のもの、人と関係を造り、新しい道を得る、そのきっかけ作りがウェブ、ICTの本領ではないだろうかと感じるのです。